一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

リハビリ気分


 つねの暮しに戻す。これが案外……。

 わずか二日間、家を空けるだけのことなのに、無意識のうちに気持の整理をしていたのだと、帰ってから思い当った。と申しても、ゴミ屋敷然たる家内を片づけようとした形跡は、まったくない。台所や冷蔵庫に限ってである。
 小分け冷凍飯や納豆パックや煮物惣菜など、出掛ける数日前にあい次いで消費しきっていた。普段なら当然、補充なり新たに仕込むなりを考えるところだ。それをしなかった。出立前の二三日は、麺類に缶詰類やチーズや漬物類や即席スープなどで凌いだ。
 旅先でもしものことがあったり、急な事情で旅が長引いたりの、不測の事態も想像できなくはないからだ。短期用の小さな肩掛け旅行鞄には、健康保険証や印鑑もしのばせてあったくらいだ。

 急性心不全による呼吸困難の発作を起して、夜中に救急車騒ぎを起したことがある。荒い呼吸のなかで、タオルと財布と健康保険証だけは手鞄に詰めた。それ以外の入院準備などは、まったくしていなかった。
 救急救命室での二日間の後、循環器病棟に移されたときには、パジャマすらなかった。担ぎ込まれたときの下着の上に、不織布でできた救急患者処置用の、なにやらムームーみたいなものをまとって、二日間ほど過した。
 心安いゼミ学生数人に助けてもらった。玄関の鍵を預けて、拙宅内に踏み入ってもらった。男子には箪笥や下駄箱の在処を伝えて、着換えや履物を調達してもらった。女子には台所を伝えて、冷蔵庫の中身を処分してもらった。持帰り可能のものはなんなりと持帰ってよろしい、食べてもよろしい、日持ちしそうもないものは捨てよと。たか括りの自己診断よりもはるかに長い入院になりそうだと、ようやく事態の深刻さに目覚めたのだった。
 玉子などは処分してくれるよう頼んだ。が、ちゃっかり女子学生は、まだ全然大丈夫でしたと云って、レンジで湯を沸かしゆで卵にして持帰ったという。

 そんな経験があったものだから、たった二日間の小旅行にもかゝわらず、冷蔵庫の中をさっぱりさせておこうと思ったようだ。気は心と申せば体裁がよろしいが、頭隠して尻隠さずで、大きな問題は放置したまゝ、些末なことだけに気が回ったわけだ。
 無事帰還してみたら、ろくに食糧がない。いや保存食ならある。が、つねづね考えている老人の生命維持のための無難安定食を構成すべき食材が底を突いている。
 明日は、野菜と玉子と、納豆とウィンナソーセージを買わなきゃな、などとつぶやきながら、そうそうアレがひとつ残っていたと思い出して、「舞茸ご飯の素」を取出し、飯を炊いた。

 白米三合を普通に水加減して、一袋の「素」をそっくり入れて、よくかき混ぜて炊く。これで美味い舞茸ご飯が炊きあがるという優れものだ。
 私は米四合にする。料理酒を加える。刻み生姜をかなり投じる。出汁醤油(追い鰹だろうが素麺つゆだろうが)を差す。これでメイカーお奨めよりは心もち淡泊で優しい味の舞茸ご飯となる。
 さすがに、すべてを小分け冷凍オニギリにしてしまうのはもったいない。二食くらいは温かい茶碗めしとして食し、あとは白飯同様、冷凍飯にする。
 さて久かたぶりだ。出汁醤油の加減はどれくらいだったか、前回の加減を思い出せない。頭のなかで味の勘を思い出そうと、かなり真剣になる。
 つましくいじましい我が暮しの実情へと復帰すべく、リハビリのようなものだ。