一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

台風接近


 続けざまの台風接近。今回は「これまでに経験したことのない強風」でない代りに、雨台風だとのこと。東京二十三区西部(ウチじゃねえか)は洪水警報が発令された。はて、あたりには川も湖も視当らないが。

 新潟の従兄から、新米が届いた。この季節が巡ってきたかの想いだ。先の台風では不安な想いをされたろうに、そんなおりからよくもまあと、ありがたさひとしおだ。
 保険外交員として地道に勤めあげた従兄で、退職後は防災の勉強や地域活動に精を出している。優秀な奥方は、地元の大学で講師を務めたが、定年後は日本語学校の先生をしている。息子二人は、すでに独立した。
 私と同齢の従兄で、私と同じく血圧やら心臓やら気を抜けぬ体調を抱えてはいるが、まずは一病息災といった暮しができている。季節々々に郷里の産物をお贈りくださる。

 世界的な食糧難だそうだ。人口集中国家のパキスタンでは、国土の三分の一もが水に浸かったという。お隣インドはかんばつの年で、最大のお得意さんだった中国への米輸出を停止したという。そのぶん補充すべく中国が他の国から米を買いあさるとなると、世界の米相場が動くこととなろう。
 それでも米はまだマシで、小麦や玉蜀黍は絶対量が足りないそうだ。それに疫病と戦争。人心の問題もさることながら、食糧相場の急変動という具体的かつ身近な問題が、これから深刻になるという。世界で深刻化しているのは、ひとりエネルギー経済のみならんや、ということらしい。

 デスクで読み書きしていると、ついついひと休みする気分になってパソコンを開け、検索遊びに耽ったり YouTube に観入ったりしてしまうので、台所へ移動して作業する。同じスツールに腰掛けてばかりいると、尻が床ずれの初期症状になりかねない。パソコンが過ぎると、眼の奥も痛くなる。ヤレヤレ齢はとりたくないものと、毎度肝に銘じるが、また同じ轍を踏む。台所は避難場所でもあるのだ。
 昨日今日は、アイスというよりホット珈琲かなとの気分で、そうだったと思い出したのは、便利なインスタント・ミルク珈琲だ。好みに合う味で、ささやかなトッテオキである。
 お向うの粉川さんの奥さんから、裏手の樹の枝葉が落ちて雨樋を詰まらせて困るから伐りたいのだがとのご相談で、懇意の植木職人さんへお取次ぎした。そのお礼に見えたとき手土産にいたゞいた。このあたりのスーパーでは見掛けない品で、ありがたくトッテオキとさせてもらっている。

 せっかく台所にいるのだからと、煮物を仕立てながら作業する。前回煮てから、まだ一週間だ。たっぷり煮たつもりだったが、久しぶりの野菜煮につき朝に晩に突っついてしまい、三日でなくなってしまった。
 今回の相棒は油揚げでなく、雁もどきだ。やはりこれでないと私流の味としてピッタリ来ない。隠し味にいつもの刻み生姜に加えて、鷹の爪一個を細かくして放り込んでみた。汁は辛くなるが、具の味は深くなった。
 大北君からのジャガイモの残り半数を使用。これで頂戴したご丹精のすべてを消費しきった。

 いたゞきもので暮している。世界的食糧難も、今のところ私には影響していない。一老人が大状況を云々しても始まらない。ありがたいご縁が、私を生かしていてくださる。
 天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。孫子の兵法だが、組織論と軍略の教えとして、若いころは読んでいた。違うね、どうやら。処世全般の噺だ。
 修身斉家、治国平天下。論語だが、この順序でなくてはならない。逆ではない。