一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

芸風

河上徹太郎(1902 - 1980)

 知ってるから書くか、知ろうとして書くか。

 河上徹太郎には、小林秀雄について語り回想したいくつもの文章がある。一冊の本にまとまったものさえある。小林秀雄とは何者かと知りたがる読書人はいつも多かったから、その人をよく知る筋へマイクが向くのは当然だ。今日出海大岡昇平ほか、身近に接したかたがたは漏れなく、小林秀雄観を語らされている。なかでもこの人から訊きたいと、読書人ならだれしも思うのが河上徹太郎だったろう。
 いっぽう小林秀雄のほうはというと、河上徹太郎についてほとんど語っていない。理由を訊ねられて、「だって河上という男を、ぼくはよく知っているもの」と応えている。魅力ある対象について、その謎めいた魅力の核心はなにかと、みずから納得すべく思索するのが批評というものだとした、小林秀雄の批評観が明瞭だ。

 小林秀雄にとって最初の著書アルチュール・ランボーについての本が出て、料理屋の座敷での出版記念会に仲間が集った。その時分の小林は酒乱にして強気強弁、周囲のだれをもやりこめ、云い負かしやっつけるのをつねとした。その夜は河上徹太郎がさんざんにいじめられて、座の空気も沈んでしまいかけた。
 同席していた永井龍男がひと言「アルチューが乱暴」と云い放って、その場は一気に爆笑の渦と変じた。後年の、昭和の短篇名手永井龍男が、すでにそこにいる。
 永井龍男の後年の対談には、ユーモア好きの徳川夢声河盛好蔵を相手に大いに語り合ったものもある。英国風ヒウマーやフランス風エスプリなんぞというものでなく、江戸庶民風と申すべきか、八つぁん熊さん式の駄洒落・地口・語呂合せを、これでもかとばかりに愉しんでいる。他愛のない馬鹿噺の連続ではあるが、名短篇の数かずがいかなる感性を下敷きに産れてきたかを、注意深く考えてみるべき対談だ。

井伏鱒二対談集』(新潮文庫、1996、親本は1993 新潮社刊)

 小林祝賀会での永井龍男のひと幕を、口を揃えて懐かし気に回想しているのは、井伏鱒二河上徹太郎の対談だ。『井伏鱒二対談集』に収録されてある。老大家ご両所が台本なく記憶曖昧のまゝに、「そうだったかな」「いや違うだろう」を互いに連発しながら進行する、なんとも微笑ましというか頼りないような対談だが、「アルチュ-が乱暴」ひと言だけは、ご両所咄嗟に声を合せて思い出している。

 じつは頼りないのはどうでも好い些細な点だけで、幕末長州藩内部の人間関係や瀬戸内水軍(海賊)の系譜と政治・軍事に果した役割など、ご両所の見識は凄まじいばかりだ。司馬遼太郎が描いたところを表向きの歴史とすれば、こゝに語られるのは裏歴史と申すべきか、真の歴史であり地理である。青い読者だった私は、かつて前半が退屈で、後半の趣味や文学史の部分だけを愉しんだ。今は全篇興味深い。

 趣味の噺というのは、河上の猟(鉄砲撃ち)とヨット、それに井伏の釣りについてだ。お互い躰の節ぶしが痛むようになり、根気も続かなくなって、最前線へ出動というわけにもゆかなくなった。そうなってみて初めて見えてくることがあるという。
 狩猟者にとって犬はことのほか大切で、狩猟者を描きたければ犬を描写すれば好いと云われるほどだという。そして犬に毛並の違いがあるように、波にも高低や速い遅いだけでなく波の毛並というものがあって、それを感知するのがヨットの醍醐味だという。また釣りについては、川面の様子や流れを観るだけでは川は見えず、地質・地形・植生の観察から川底の模様を透視できなければ魚は釣れないという。
 ご両所ともさんざん打込んで、現役引退かという間際になって、自分がなぜ一流でなかったかを悟ったそうだ。「風樹の嘆」なんぞというむずかしそうな言葉で表現されている。辞書によれば、樹は静かでいたいのに、そんな想いを風は知っちゃいないという意味だ。もとの詩では「子養わんと欲すれども親これを待たず」と続く。
 八つぁん熊さん界隈ではこれを「親孝行したいときには親はなし」と川柳調で訳した。時すでに遅し、すべて手遅れといった嘆息だろう。

 鉄砲や釣竿が手遅れならば、あっちのほう、つまりご婦人についてはいかゞという脱線噺もあって、
 井伏 猟はしないけれども、どうもイヌには金かけるね。
 河上 金なんかかからないよ。イヌってのは女みたいなものだっていつかどこかで書いた。金はいらないけど、時間と手間がいるって。どうだい。
 井伏 御説ではありますが、時間と手間があっても、そりゃあ女はだめだよ。女ってのは文学論みたいなものだ。
 こうなると深いんだか他愛ないんだか、判断に窮する。どうかこの一節をフェミニスト運動家さんがお読みになられませんようにと、祈るばかりだ。
 それにしても先人がたは、それぞれ芸をお持ちだったなぁと、これは深刻に考え込まざるをえない。