一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

看病小説

津村節子(1928 - )『紅梅』(文藝春秋、2011)

 作者みずから、わが集大成と称ぶ作品。夫の吉村昭(1927 - 2006)が体調の異変を口にしてから他界するまでの一年半を描いた、看病・介護記だ。

 帯広告には、構想執筆に五年の歳月とあるから、夫の最期を看取った直後から、これを書き残さねばと思い立たれたのだったろう。凄絶な闘病随伴の記でありながら、夫と作者自身との全生涯を視野に収めた、二代記となっている。
 小説だから登場人物はすべて仮名にされてある。が、これは丹羽文雄大河内昭爾瀬戸内寂聴三浦朱門曽野綾子夫妻と、想像がつくように描かれてある。医科大学やクリニックもさようだ。

 半世紀以上を筆に生きてきた作者である。凄惨な実録小説とはいえ、人物像を一瞬で浮びあがらせるユーモラスな観察眼には狂いがない。宿痾の肩凝りを抱える主人公は、三十年以上も教室へ通っているヨガ体操のおかげか、小柄のわりにはつねに早足で歩く。健康に不安があって歩みののろい夫は「おまえの先祖は飛脚かっ」とひと言。
 日本藝術院では、臨席の天皇皇后両陛下に新会員を紹介申しあげる儀があるそうだが、ある年、第二部(文芸ほか)部長である夫が、新会員である主人公を紹介せねばならぬ巡り合せとなった。同時入会の二人を懇切に紹介したあと、さて主人公の順番だ。
 「この者は五十年間家に住みついておりまして、本日も同じ家から出てまいりました」
 つねに静やかな皇后陛下も、大笑いされたという。

 そんな小場面もあるものゝ、一篇の大半は闘病記であり随伴記である。深夜の病院の廊下に漂う、寝静まったようでいて不穏な緊張をはらんだような、不気味な空気など、経験した者でなければ解るまい。それ以上に、看病・介護に明け暮れる日々を強いられた者の、逃げ場のない重苦しい気分など、いかに説明したところで、経験した者にしか解るはずがない。さなかにあっては、これ以上を為すことは不可能と思い定めたところで、死なれてみると、不十分だったのではないかと後悔ばかりが残る。一篇にはそれもしかと書かれてある。
 そんななかでも、主人公は連載を抱え、断りがたい義理を果すために地方へ講演に出向いたりもする。あろうことか患者である夫までが、病室でゲラをチェックしている。舌癌を切除し、膵臓癌の摘出手術を受けた身であることを、世間には公表してないからだ。
 闘病一年半のあいだに、恩あり所縁ある先輩がたが次つぎ他界する。なにを措いても夫婦して馳せ参ずべきところだが、言い訳を工夫して主人公一人で出向く。それすら叶わぬ場合もある。
 病と真摯に向合う夫婦の姿が、抑制の利いた文体をもって小ざっぱりと描かれた、あっぱれけなげな記録とも云えようが、読みようによっては、底知れぬ業に取り憑かれた文学餓鬼どもによって織りなされる地獄絵図である。

 それでもご夫妻ともに藝術院会員のご一家。下じもとはかけ離れた闘病生活といった面もある。新たな症状が顕れ、新たな病巣が発見されるたびに、わが国屈指の権威から次なる名医へと紹介状が書かれ、引継ぎされてゆく。大学病院から別の大学病院へと。専門研究所から地元の日常ケアのクリニックへと、医療ネットワークも完璧だ。
 病棟で、となりに別の患者のベッドが並んでいることはない。退院してきた夫に入浴させてやりたくて、その手筈をクリニックの看護師に訊ねると、「蒸しタオルを沢山作って、拭いてあげてください」とあっさり応じられてしまう。
 「浴室の付いていない部屋に入っている患者は、入浴はどうするのだろう」
 と、主人公に疑問が生じたりしている。
 アノネ、津村センセ、大学病院にだってそんな部屋、数えるほどしかないんデスヨ。

 この作品の叙述技法を、これから力作をものそうと励む若手作者には、お奨めできない。主人公は眼前の事実を眼にしながら、ふいに過去の記憶へと飛ぶ。理由あって回想場面が挿入されるのではない。脳裡に染みついている過去が、現在と同じ重さで同時存在するかのように、唐突に往ったり来たりするのだ。叙述の遠近法という点では、かなり大胆だ。奥行きを無視して主観の表現を目指した後期印象派のとある画面を観ているかのようだ。
 私には伝わる。よく解る。老人の想像力のなかで、現在と過去とは、このように同等に実在している。老化か経験か、それは知らない。とにかく現実味はある。が、基本に忠実たらんとするなら、模倣せぬほうが無難だ。

 そしてその過去の事象というのが、初期から中期への一連の自伝的小説『さい果て』『玩具』『茜色の戦記』『星祭りの町』『瑠璃色の石』をとおして、作家の若き日を報されている読者にとっては、あゝあの時のことねと、すぐに見当がつく。後進の参考になるのは、むしろこれらだ。若き日にこのご夫妻が、どれほどのご苦労に見舞われたかを知ってこそ、改めて『紅梅』が津村節子の集大成という意味が、はっきりする。
 妻と息子と娘に看取られて(息子の嫁にも娘の婿にもあえて報せずに)、作中の夫はご立派なご最期だったといえよう。遠く及ばぬお幸せとすら、私には感じられる。