一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

プルトップ



 缶切りを使ったことのない若者たちの時代なのだという。

 今日の気分は味噌汁ではないな、という日がある。かといって麦茶を飲みながら食事というのも、少々味気ないな、という気分の日もある。
 若き友人のひとり水奥さんから岩手県の水産加工食品をいたゞいたのは、九月上旬のことだった。九月九日の日記に、嬉しそうに書いてある。
 水奥夫人のご郷里岩手県では、かの大震災の津波被害によって壊滅的大打撃をこうむった漁業および水産物加工業が、年月をかけて復興が進んでいるとのこと。復興支援のお気持から、ご夫妻もなにかと岩手県の物産を取寄せたりなさるらしい。そのお裾分けとのことで、地元ならではの汁もの漁師料理の缶詰を、ふたつも贈っていたゞいた。日保ちする商品だから、急いで賞味させていたゞくにも及ぶまい。こゝぞという場面がくるまで温存してあった。そうだ、アレに手を着けようと、思いたった。

 思いたってから、シマッタと気づいた。昨月初め大学祭のおりに、古本屋研究会の関連でお骨折りくださった水奥さんご本人と、直接お会いする機会があったにもかゝわらず、この件でのお礼を申し忘れた。まだ賞味させていたゞかず、品物を冷蔵庫に眠らせたまんまにしてあったので、他の用件も話題もふんだんにあった場面につき、つい失念してしまった。あとの祭。
 ひとつひとつの事実はしかと記憶している。にもかゝわらずそれらを組合せられない。複数の事案を勘案できない。明らかな老化現象のひとつだ。

 ご無礼したと恥入りながら、ひと缶め「海女の磯汁」を開缶した。帆立の身がたっぷり、出汁も濃厚に出た塩汁。塩だけで味付けたようなさっぱり味で、野趣に富んだいかにも浜料理といった味わいだ。たゞし塩味の芯にある甘味というかまろやか味というか、これはなんだろうか。むろん甘味料の甘味ではない。帆立から出た出汁とも思えない。
 塩が甘いは形容矛盾だろう。塩味の芯を甘く感じさせる技が、なにかしらあるに違いない。むろん私なんぞに云いあてられるはずもないが。大ぶりの缶にたっぷり入った潮汁を、三食に分けていたゞき了えた。まことに珍しい、今まで知らなかった味だった。

 現代のことだ。大ぶりの缶詰だとて、缶切りを用いる必要のない、プルトップによる開缶方式だ。ところでこのプルトップについて、私にとっては驚きの経験があった。
 十月初旬のこと、べつの若き友人丹沢さんご夫妻のお世話で、富士山絶景を見せていたゞき、河口湖から忍野八海など富士吉田界隈をご案内いたゞいたおりのことである。夕食後の歓談時に、プルトップの話題となった。
 これまで私は「プルトップを引く」と口にし、日記にもさように記述してきた。が、よく読んでくださっているらしい丹沢さんは「引くはおかしいでしょう」とご教示くださる。たしかにプルトップのプル(pull)は「引く」だから、馬から落馬するの類に近い気配は濃厚だが、ご指摘はそこではない。あれはそも「引く」という動作ではないとおっしゃる。はて、私には他の表現をした記憶がなく、それではいかに記述すべきか、見当もつかない。呆気にとられた。あまり意識したこともないがと前置きされて「あえて云うなら、タブを起すかなぁ」とのご意見だった。私には巨きな課題が残った。

 缶切り不要の開缶方式を正しくは、イージーオープンエンド(easy open ends : EOE)というらしい。1959年にアメリカで発明・特許取得され、日本へは1965年に技術導入されたらしい。初めはプルタブ式といって、蓋の一部分が切離されるものだった。つまり開缶後の天井には完全な穴(飲み口)が開く方式だった。
 私ははっきり記憶している。缶切りも三角穴開けも使わぬジュース缶・コーラ缶は衝撃的だった。人間の指が輪っか部分を引っぱるだけで、金属缶の天井に穴が開くなどとは、常識では考えられなかったからだ。プルトップを「引く」は強烈に私の脳に焼きついたものと思われる。

 このプルタブ式はやがて、致命的な副作用が取沙汰され始めた。方式ではなく、利用する人間の野蛮未開が致命的だったのである。切離したリング+飲み口部分の小金属片のポイ捨てが横行した。丹頂鶴や狐の死骸を解剖したら、胃のなかから大量のプルタブが発見されたなどという報告が相次いだらしい。私自身が記憶するニュースとしては、心ない海水浴客や夜間の海岸散策客によるポイ捨てによって、昼間の砂浜で子どもたちが足を切る怪我が跡を絶たなかった。

 改良型方式として、開缶後もリングと飲み口部分が切離されずに缶に残る、ステイオンタブ式に切換ったのは、1980年代からだそうだ。私にはいつごろ切換ったかの記憶はない。あゝこのほうが便利だなぁと感じ、無自覚に改良型に順応してきた。たしかに引っぱらなくなった。切離さなくなった。けれどもプルトップを「引く」という言語習慣だけが残ってしまったのである。
 さてかような場合、習慣を現実に合せて改めるべきか、由緒ある言語習慣を技術史の痕跡として残すべきか、いさゝか考えどころである。