一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

正統か因習か


 編集部への〆切原稿手渡しが済んで、さて遅い朝食。珈琲館で本日一杯目の珈琲とシナモントースト。気分としては、ささやかな贅沢だ。運ばれたカップを自分流に置きなおす。
 スプーンを手前にしてカップの耳(つまみ)を左へ。と習った。粗相のないように、左手で耳をつまみながら、スプーンで掻きまわす。済んだスプーンはカップの向うがわに置く。カップを手前まわりに百八十度回転させて、右手で耳をつまみなおして飲む。オマジナイではない。六十年以上前に受けた、れっきとした躾である。ただしこだわってるわけでもなく、実行する日もいい加減に済ます日もある。

 小学校高学年での担任教諭は、戦前の女子師範教育を受けた女丈夫型の、厳しいオバちゃん先生だった。わがままで強情な悪ガキだった私は、今でもこの先生に感謝している。たまさかテストの点が良くて天狗になりかけると、呼出されてこっぴどく叱られた。マッチの擦りかたも、鉛筆の持ちかたも、この先生から教わった。紅茶の飲みかたもである。
 戦前の女子教育では、英国流の喫茶作法を日本の茶道動作に接ぎ木して、そんな教えもなされたのだったろう。茶道における、茶碗の正面を手前にしていただくという考えによったのでもあったろうか。
 紅茶から珈琲主流の時代になって、そのほうがてっとり早いと云わんばかりにアメリカ人は、カップの耳を右にして客に出すと嘆いていらっしゃった。しかし洋食器のカップに、和食の茶碗や絵付模様の平皿のごとき、正面という考えかたがあるのかどうか、私は疑っている。ともあれ粗相のなきよう左手でカップの耳を抑えて、という点は、今でも気に入っている。

 珈琲館では、お代り珈琲まで注文して、久びさに長居させてもらった。鞄に詰めたままだった読みかけ本の読書も捗った。捗るにつれ思い当ることも生じる。中村橋から春日町へかけて、未知の古書店がある。このさい運動不足解消をかねて、歩いてみることにした。寒いが、空はなんとか持ちそうだ。
 日常的なウォーキングをしなくなって、丸一年以上にもなる。疲れた。残念ながら、収穫はなかった。わが町へ戻る。居酒屋にはまだ早い。いつものロッテリアで、読みかけ本の続き。

 ロッテリアの珈琲は、カップになみなみと注いでくれる。そういえば珈琲館でも「なみなみ」だった。今では普通なのか。
 かつて日本人は、珈琲も紅茶も、カップ八分目に注いだ。玉露や煎茶の常識が、適用されたのだろう。ひと口めを飲みやすいし、熱さによる思わぬ事故も起らない。だがカップに耳が付いた珈琲や紅茶では、そもそも熱さによる事故など考えにくかろう。
 現在でもヨーローッパ人やアメリカ人には、八分目に注がれたカップを出されると、ケチだなあと感じると聴いた。それどころか途中でだれかが味見したんじゃないかと、疑う気を起したりさえするそうだ。
 珈琲館もロッテリアも、そしておそらくは日本中の喫茶店のほとんどが、グローバルスタンダードに倣って、カップに飲物をなみなみ注ぐようになっているのだろう。視た眼というか、日本人の八分目美意識など、独りよがりの因習に過ぎないということだろうか。じつは八分目美意識には、儒学にも仏法にも、それぞれ根拠となる教えがありはするのだが、珈琲・紅茶カップの八分目は、いくらなんでも画一化した形骸といえそうで、私も「なみなみ」に違和感はない。

 頃合いの刻限となり、いつもの店のいつもの席へ移動。今日のお運びさんシフトは、いつも朗らかで年寄りにも親切なバイトお嬢さんだ。ただし運んでくれた〆鯖の皿が逆向きだったので、直してからシャッターを切った。
 角型平皿の正面は、というようなことは、今さら申すまい。ただこの場合は、板前さんが客に見せようとした盛付け方向ってもんがある。躾や因習の問題ではなく、商売の問題である。ここで気の小さい老人は、考えこんでしまう。

 「ちょいと、お嬢さん」なんて切り出そうもんなら、どうでもいいことに口うるさい爺さんだと、思われることだろう。
 かといってご本人の将来を慮って、のちほど「店長さん、これこれを指導してあげたら?」なんぞと告げ口クレーマーみたいな真似をして、彼女が店長さんから叱られでもしたら気の毒だ。だいいち私は、マネージャーでも教育係でもありゃしない。
 たかが〆鯖と山葵と、大葉一枚と湯通しした若布と、醤油皿の配置の問題に過ぎない。私なんぞの出る幕ではない。が、この場合は、板前さんの顔を立てるってことも、あるからなあ。