一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

熊本バンド

熊本洋学校

 そろそろテレビを観なくなっていた時分だったが、NHK 歴史大河『八重の桜』だけはときどき観ていた。綾瀬はるかさんが主役だったからだ。
 前半の盛上りである会津戦争までは、綾瀬さんばかり観ていた。舞台を京都へ移しての後半、新島襄同志社が出てきてからは、綾瀬さんそっちのけで、ドラマに観入った。熊本バンドの描かれかたは鮮烈だった。熊本洋学校が閉鎖になって、同志社へ大挙して移籍してきた猛者たちのことだ。

 旧藩主、豪農、学者(多くは儒者)に進取の気質に富む賢人が多かった地域(藩→県)は、文明開化の立上りも早かった。熊本では明治四年に洋学校が開校された。知事(旧藩主)細川喜延は私財を投じた。
 南北戦争で勲功あったという陸軍退役大尉を、アメリカから高給で招いた。(これもお雇い外国人か。)軍制を習ったわけではない。英語・数学・世界史・地理・物理・化学・生物・地学・天文。すべて英語にて講義された。大尉は任期中、日本語をまったく習得しようとはしなかった。

 当時熊本にはいくつかの学派があって、学校党・敬神党実学党などと称ばれていた。漢学の訓詁に厳密な学風、国粋的な学風、利便用学的な学風などだ。
 旧藩主や知恵ある豪農・学者たちの主流は実学党で、思想的支柱と目された学者は横井小楠だった。洋学校も実学党による企てだった。立案者たちの狙いは、基礎学問でもあったが、それ以上に欧米の新技術導入にあった。
 退役軍人教師ジェーンズ(Leroy Lansing Janes)はこれによく応え、野菜の種子や新式の農具(性能のよい鋤など)を輸入している。

 だがジェーンズの本心は、キリスト教の布教にあった。熱心なプロテスタントだった。
 生徒たちは、英語も基礎学問も自然科学もよく学んだが、各科目の背後に共通する合理精神があると気づいてゆく。根本には自主独立の「個人」観念があり、淵源はキリスト教信仰だと思い込んだ。ジェーンズに強く感化されていった。
 洋学校を設立した実学党系の大人たちにとっては、予想外の展開だった。尖鋭多感な若者たちは、実学党に発して実学党をも超える存在となっていったのである。当初は親兄弟にも女性たちにも、反対者が多かった。実学党の思想的背骨であったはずの横井小楠が暗殺されたのも、小楠がキリスト教に洗脳され寝返ったからだと、まことしやかに云われた。
 が、信者は増えていった。ジェーンズ夫人による、マナーや女性の役割についての考えに共鳴して、熱心な信徒となる女性たちもあった。

洋学校生

 市内の花岡山山頂に集った三十五人の若者が、奉教趣意書を読み上げ、署名し、プロテスタントへの改宗を誓った。敬神報国。信仰を広めることで国の基礎を培ってゆくとの志だ。この若者たちが、後年「熊本バンド」と称され、明治中期の思想界・宗教界を牽引することとなる。バンドとは「結束・一団」という意味だろう。今日の楽団と同じ語である。
 趣意書を今日読んでみれば、儒学道徳にある仁や正義や良心の価値を実現するために、キリスト教信仰を活用するというような、接ぎ木思想だ。が、その時の若者たちは、百年一日の型にはまった漢籍訓詁に飽きあきしていたのだ。なんとかして殻を破りたかったのだ。

 おりしも新政府により地方行政が整備され、初めて乗込んできた県令(知事)は土佐出身者だった。学制改変に手を着け、実学党系の県庁幹部も中間管理職も教育者も、いっせいに辞任せざるをえなくなった。年数契約にて来日していたジェーンズの任期が切れたのをしおに、洋学校は閉鎖された。
 全国画一の教育制度を敷きたい新政府にとって、熊本バンドは邪魔だった。迫害弾圧の対象ですらあったかもしれない。彼らは居場所がなくなった。どこへ行こうか。そういえば、アメリカから帰朝した新島襄が、京都に同志社を起したという。
 かくして、新島襄の周囲に集っていた初学者多き善意の学徒たちのまえに、英語力も他の学力も、加えて信仰の固さも段違いだった、傍若無人ともいえる熊本バンドが、大挙して押寄せたのである。

 ところで洋学校時分の勢揃い写真にはどれも、ひときわ小さい少年が一人、写っている。徳富猪一郎(のち蘇峰)である。花岡山の三十五人のなかにも、彼の署名はある。
 だが彼の胸中は、同行してはいたものの、上級生や卒業生とは少々異なる心持だったらしい。信仰の決意というよりは、新聞記者になりたいとの志を固めたようだ。
 また上級生たちのように、洋学校閉鎖後ただちに京都へ移ったわけではない。一度東京へ行っている。慶應義塾にしようかどうしようかと、通学先を迷ったあげくに東京英語学校(旧制一高の前身)に籍を置いたりもしている。
 あれも不満、これもたいして面白くない。居ても立ってもいられず、ついに口利きの恩人や食住の保護者に不義理するようにして、夜逃げ同然に京都へと流れていった。『自伝』冒頭から程なくの、興味深い箇所である。