一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

使い切り


  独居老人の自炊暮しを思いやってくださって、珍しいものや躰に好いものをお裾分けくださるかたがいらっしゃる。かたじけなきことこの上もない。

 東北地方の昵懇のかたから、昔ながらの製法による沢庵が届いたから、お裾分けに一本とおっしゃって、お持ちくださったかたがあった。一本丸まるである。昨年暮れのことだ。ほんとだ。ラップをほどいてみると、色も自然だし、糠の香がプゥンと強烈だ。
 大好物である。いぶりがっこを置く居酒屋では、かつては眼がゆく肴のひとつだった。大喜びして、さっそく尻尾に包丁を入れ、ひと切れ口に放り込んだ。
 愕然とした。食べられないのだ。歯応え上等の沢庵を美味しくいただけるほど、私には歯が残ってないのである。入れ歯調整も含めて、治療が急務とはかねてより承知。「密を避けよ」との疫病騒ぎによる脅迫を言い訳に、治療を怠け、だらだらと先延ばしにしてきた。

 かと申して、諦めるにはいかにも惜しい沢庵だった。なんとか美味しくいただくにはと、あれこれ考えてはみたが、これぞというアイデアは思い浮ばなかった。で、一本の沢庵を五等分して、過去四回この方法でいただいてきた。今日が最終回である。

 薄切りにしてから、さらに縦横に包丁。三ミリから五ミリの賽の目に切る感じ。それを酒に浸けておく。三十分で好い。もったいないが、沢庵漬けをもとの干し大根に戻してしまうようなものだ。途中で一回、スプーンでかるく混ぜ、スプーンの背で押しつけるようにして、酒の効果を高からしめる。
 研いだ米に水加減したら、刻み昆布と、微塵切り生姜と、粉にした鰹節とを投じて、米が水にふやける時間を置く。今日は三合をわずかに超えたか。

 刻み干し大根(もと沢庵漬け)を固く絞る。二度三度絞る。この酒は残さぬほうがよろしい。
 どれほど沢庵性が抜けたものか、なにごとも勉強と思って、絞った液体を口に含んでみたことがある。これが本当に三十分前まで酒だったとは信じられぬほど、激烈に不味い。糠臭いだけでなく、塩が相当抜けるものか、苦く辛い。とにかく不味い。

 炊飯器の内釜で米と刻み昆布がふやけたら、絞った干し大根と、新たに酒を猪口に三杯程度(つまり中型の玉杓文字で二杯)、塩ひと摘み、醤油を玉杓文字一杯を投じる。全体をかるく混ぜる。混ぜ過ぎると、酒や醤油が沈み過ぎて、よろしくない。

 つまりは大根飯の炊込みご飯だ。歯がなくても食べられる。塩も醤油も控えめだから、薄塩味に炊け、かすかに糠の香が残り、これはこれで乙な味飯となる。説明されなければ、糠の香とは感付かれまい。はて、なんの香りだろうと首を傾げたくなる、なにやら秘伝めいた味である。
 あとは胡麻なり、紫蘇フリカケなり、お好みのトッピング追加味で完了。

 今日明日はこれを主食とする。明後日はさすがに、いったん冷凍小にぎりにしてから、粥に戻すことになるかもしれない。
 本来の愉しみかたではないのが心苦しくはあるが、せっかくの頂戴ものを、これですべて使い切った。歯なんぞなくったって、エヘンッ、沢庵くらいいただけるわい。