一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ありあわせ


 ありあわせ力そば。思えば私の日曜日にふさわしい。

 力うどんというメニューは、蕎麦屋さんなどに古くからあったもんだろうか。子ども時分には知らなかった。わが家の食習慣には(つまり母のレパートリーには)なかった。高校生時分だったろうか。友達と外食する機会が生れて、初めて知った。
 一食では物足りない、かといって二食注文しては財布が堪らない。効率よくパワーを補充する食事なのだろう。力仕事する人たち向けのメニュー、という気がした。
 部活のあとの消耗と空腹を満たすために、注文してみたこともある。おまけ付きのお値打ち感はたしかにあった。が、一食と三分の一という半端な感じもあって、好物メニューに加えるまでにはいたらなかった。

 近年の焼きそばパンにも類似な感想を抱いた。みずから手に取ることは、まずありえなかった。力仕事に従事するかたや若者が、手っとり早く炭水化物を補充するためには、好都合な総菜パンとの印象をもっていた。
 数多くの在日もしくは旅行来日ユーチューバーさんがたによる、歯の浮くような「日本大好き」動画のなかに、私のオススメベスト〇ランキングという中に、なんてったって焼きそばパン! と出てきたことがあって、眼を疑った。よりによってソコかよぉ、と心そこ驚いた。
 呆れたり嘆いたりといった、悪い印象を抱いたわけではない。むしろ逆で、人の嗜好はいろいろだと改めて痛感し、着眼の出色さに感服さえした。

 オジイサンあんたサァ、固定観念に縛られて、じかに物を視レナクなってんじゃないのぉ? テイウカァ、本当に美味しい焼きそばパンッテ、食べたことないんじゃないのぉ?
 一言もない。図星である。だが馬鹿にしてもらっては困る。これでも一時は、カレーパンの比較研究に情熱を注いだ時期だってあったのだ。なんの焼きそばパンごとき。
 と力みかえってみるが、そうなるとかえって意識してしまって、つまり妙に構えてしまって、敷居が高くなってしまった。ベーカリーでもスーパーでもコンビニでも視かけるのだが、まだ買ってみたことがない。

 さて日曜日である。珍しく〆切ある仕事を引受けて、気楽にのびのび台所をしている暇がない。即席ラーメンという気分ではないし、チルドカレーは昨日も食べた。で、そばを茹で始めた。
 食後デスクに向えば三時間以上は腰掛けっぱなしとなる。もつだろうか。で、思い出したのが、一食と三分の一である。

 昨年暮れに、パソコン顧問のながしろさんから頂戴した蕎麦が、まだ残っていた。
 それにご近所の奥様から頂戴した、愛用の香り高い刻み海苔がある。かつてスーパーの刻み海苔を愛用しているとブログに書いたら、焼海苔専門店には、高級板海苔を成形するさいに切落した縁を、刻んで袋詰めした商品があって、断然違うのヨと教えてくださった。たしかに格段の相違だった。以来愛用している。
 さらに郷里の親戚から贈られた餅が、まだ残っていた。今の餅は殺菌パック詰めで、カビが生えない。

 幼かったころは、母方の祖母が搗きたての餅を送ってくれたものだった。段ボールなどが現れるより前の時代で、板組で隅に釘が打たれた蜜柑箱に詰められ、荒縄で十文字に縛ってあった。鉄道便だった。至急で届いたのだろうが、荷を開けると、餅には黄色や緑色のカビが生えていた。
 母は包丁で切り餅の表面をていねいに削ぎ落し、まっ白い餅にした。が数日するうちに、その餅にもまた点々とカビが生えてきたものだった。むろんまた削ぎ落した。削ぎ落しが雑だと、焼きたての餅に醤油をつけて頬ばると、かすかにカビの味がした。
 餅のカビを落すなんぞと申したところで、お若いかたにはご想像いただけないかもしれない。

 ともあれ、わが常備品およびほぼ常備野菜であるウインナソーセージと玉ねぎをあわせれば、一食と三分の一の出来上りである。
 なんと手軽にして手抜き。いだだきものやご好意の組合せ。自前の独自要素皆無。まことに私そのものだ。