一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

散歩の理由

 このアングルからこの建物。どれだけの写真を眼にしてきたことだろうか。

 ひとつの用足しのために出歩く気力が失せた。行動の効率化と申せばもっともらしいが、要するに体力・気力の減退だ。先延ばしにした用件や欠礼したままの不義理を一気に片づけるべく、外出用の散歩靴を下駄箱から出す。
 まずは地元の信用金庫へ。祝日でも ATM は動いているから、通帳記入する。古書肆からの買取り金と『江古田文学』からのギャラとの、送金連絡メールをいただいてはいたが、怠けたままにしてきた。通帳にて確認。今夜にも「たしかに受領いたしました」と、返信しなければならない。
 別の銀行 ATM へと移動して、軽くなっていた財布に生活費を補充する。

 久びさの池袋。怖れていたほどの人混みではなかった。正午を回ったばかりだ。人出のピークには早いのだろうか。西武百貨店が売却され、東口が様変りするという大ニュースが過日飛交ったが、視た眼にはなんの変化もない。十年単位の大プロジェクトだろうから、下じもの眼になど見えなくて当然と、苦笑した。
 浅草今半の出店に寄って、専用の宅配伝票を所望する。その場で年寄りがのろのろ記入したのでは、店員さんにも通りすがるお客さまにもご迷惑だろう。別所にて記入し、再来店のつもりと告げた。快く伝票をくださった。書き損じ用の予備まで。もっとくださろうとするから、予備は一枚で結構、気をつけて書きますからと、遠慮申しあげた。


 タカセ珈琲サロンへ移動。パンの棚は隙間だらけだ。午前中から正午へかけて、予想を上回る売行きで、補充の焼きあがりが間に合っていないのだろう。とはいえ店内座席が満席に近い場合には「席を確保なさってからご注文を」との立札が立つはずで、それがないところをみると、二階に空席はあるらしい。少ない選択肢から、チーズ入り焼カレーパンを選んだ。アイス珈琲と。

 伝票記入は三件だ。最近は油断すると、筆跡がなんとも頼りないフニャフニャ文字になってしまう。見憶えがある。昔、ご高齢の先生がたとハガキのやり取りをすると、かような文字が返ってきた。おそらくは老化の特色だ。指の力が弱まるのだろう。手と指の筋肉か神経かの、どこかが衰弱しどこかは残存して、バランスが崩れるにちがいない。私もとうとうあの字になってきたかと、気づかされることがしばしばとなった。
 対処法はある。気を入れて、ゆっくり書けばよろしいのだ。書きかた練習の小学生のように。しかしあまりに時間がかかり、場面によっては人さまにご迷惑をおかけしてしまう。

 聖書研究の専門書のみを手掛ける、小出版社の社長さんとは古い友人だ。私と同齢、ということはやはり、身辺の本や書類の整理処分を心掛けておられる。先般ふいのお電話で「お前(つまり私)の昔の仕事が出てきたが、当然保管してるだろうね」とのお訊ねだった。とある企業の創業ナン十年史といった、箱入り大型本だ。むろん手もとにはない。編集・制作に関わった本というものに、私はとんと執着がない。今後も再読したくなりそうなほんの一部を除いて、退職するとき実物も資料もすべからく社に置いて出てきている。
 「じゃあ送ってやろう」ということになったのだが、届いた荷物を開封して驚いた。高価な専門書を扱う玄人だけに、蔵書のコンディションが素晴らしい。刷りあがったばかりの新刊書のようだ。そのうえ、おまけが付いていたのである。大出版社のナン十年史だ。出版業界本を専門に取扱う神保町の古書店の棚で、かつて眼にした記憶はあったものの、しょせん私なんぞには高嶺の花と、背文字を観ただけで手を伸ばすことすら思いつかなかった大型本である。開いてみたら、文壇側面史・裏面史の一次資料や逸話満載の、たいへんなお宝である。さて困った。世の中を遠くから眺めるしかない今の私には、お礼申しあげるすべがない。

 大学に出入りしていたころ、講師室仲間となった先輩がおられる。日本で大学院修了後はイギリス留学されて、そちらで学位を取られた。シェイクスピア批評史・受容史をお調べで、つねに最新情報には目配りを欠かせぬ分野らしく、しょっちゅうイギリスと日本とを往復しておられた。
 この先輩にはもうひとつの顔があった。在職中は隠しておられた。教授職をご退職後は年ごとに、ゴロンと部厚い長篇小説が届くようになった。すでに五冊だ。作者の弁によればいずれも、執筆に十年だとか、構想してより二十五年だとか、途方もなく長期間にわたる高志持続の成果である。いくつものアイデアを同時に抱え込んで温め、お調べを重層化して、ときに書き募ってこられたのだろう。尋常の才能ではない。
 その達成に対しても、私にはお礼申しあげるすべがない。

 伝票の三枚目は、季節ごとにご丹精の野菜を贈ってくださる、学友の大北君だ。そのご好意に対しても、私にはお礼申しあげるすべがない。
 こんなことしかできぬ自分を想い、タカノ珈琲サロンの二階の隅っこの一人用座席で、小学生のような速度でガシガシと伝票を書いている。

 散歩にも理由が必要になった。歩くことが嫌いになったわけではない。しかし躰がむしょうに出歩くことを欲するなんぞということは、めったにない。
 ひと月近く前に、武藤良子さんの近作展を拝見したが、本日が最終日だとのこと。会場は西池袋にある本のセレクトショップだ。池袋からも椎名町からも歩ける範囲だが、主催者案内によれば最寄り駅は目白とのこと。長らく歩いていない一帯なので、つい興味を起した。
 かつて隠れ家的な読書空間とさせてもらった地下の老舗喫茶店「伴茶夢」は健在だった。柳家小さん師匠のお宅へはそっちの道だ、こっちの道の先は目白庭園だ、ここを曲ると徳川家のお屋敷だと、歩けば蘇る記憶も多々あった。少し遠回りして、自由学園明日館の前を通る。幾多の写真や動画で眼にしてきたアングルから、自分でもシャッターを切ってみた。
 最終日のこととて、展示会場では武藤良子さんにもお会いした。長らくお疲れさまでした。この会場での展観のことも、この一年かけての各地巡回展のことも。
 そこから帰宅路を辿る気でいたのだが、武藤さんによるお奨めもあって、雑司ヶ谷古書往来座さんへ回ってみる気を起した。難儀な距離というほどでもないが、近年の私にしては破格の強行軍である。

 東京ではめったに眼にする機会のなくなった標示板だ。しばらく立ち停まって、しげしげと眺め入った。