一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

思いもうけぬ初詣

孔子像、湯島聖堂

 必死で早起きした。初詣なんぞする気じゃなかったんだけど。

 昨今の私にとって、午前八時起床は非日常の早起きだ。ふだんなら白河夜船、うっかりするとまだ寝入りばなといったところか。
 駿河台下の東京古書会館での、今年最初の古書市へ出掛けるつもりだ。単独行動の覚悟だが、古本屋研究会の若者諸君にも連絡だけは回してもらった。松の内にいきなりお誘いしても、出掛けてくる若者はあるまい。ダメモトの声掛けである。

 古書漁りの場所と機会という点では、一に古書店巡り、二に百貨店や超大型書店や公共施設などでの古書展示会、三にネット検索。いずれもかなりの面を、若者諸君にお伝えした。まだ伝授が手付かずなのは四番目で、古書店組合主催の古書市だ。東京古書会館およびその分館にて、週末ごとに開催されている。これを身をもってお伝えせぬうちは、引退できない。口頭での伝授不可。同行せねばならない。
 久かたぶりに、古書会館へ足を運ぶことになる。今年は整理元年。めったなことでは本を買わないと、誓った身だ。矛盾である。やむをえない。これからしばらく、古書会館へ赴く気でいる。古本屋研究会の主だった若者たちをひととおりご案内できたら、また朝寝の週末に戻るつもりだ。

 とはいえまだ松の内、空振り単独行動となるだろうとの覚悟はあった。が、待合せ場所のお茶の水駅前へ、たった一人、会長(主将)の三年生がやって来てくれた。彼女に骨子をお伝えできさえすれば、下級生には彼女から指導してもらえよう。
 「お茶の水は詳しい?」
 ほとんど知らないとの返事。だったら古書会館の前に、急ぎ足で初心者コースだ。お茶の水橋と聖橋。日販本社と喫茶店穂高と井上眼科。ニコライ堂湯島聖堂。そして神田明神へ。

 我ながら、現今の風潮に毒されておった。社会人はとっくにお仕事始めだろうから、明神さまも平常の境内に復しているものと思いこんでいたのだ。が、実際にはいまだ松の内。参道に出店が立ち並んでいるわ、昼酒の屋台がおでんの湯気や焼鳥の煙を立ち昇らせているわ、正月風景まっただなかだった。
 講の皆さんだろうか、正装に揃いの袈裟を首から掛けた団体が、境内一杯に行列して、参拝順を待っておられる。
 人並みを掻き分けて横手へ回り、わが子を千尋の谷へ落す獅子の石像を眺め、銭形平次とがらっ八の石碑を眺める。太郎次郎一座の女性芸人さんが猿回しの芸を見せて喝采を浴びている。馬鹿でかい神田神輿を眺める。いやはや、ひょんなところで初詣をした。
 天野屋さん伝統の甘酒について説明する。姉さんの大好物だそうで、会長はお土産を一袋買った。

東京古書会館、初市。

 さて、日大歯学部を眺めながら坂を下って、白水社の前で角を折れれば東京古書会館。ここでのちょっとした作法を説明してから入場。予想どおり、場内はオッサンとジジイばかり。どこへ出向いても、古書市の平均年齢は高い。そして女性は少ない。若い女子大学生を伴って入場するハゲジジイは、はたからどう見えるのだろうか。
 一時間見当で再会することにして、会場内自由行動。けっして買わない(新しいものは)。徳富蘇峰の自伝と、春陽堂の円本戯曲集のとある一冊、岡本綺堂伊原青々園が収録されている巻。これくらいは仕方ない。

 午前中の陽射しは良くても、午後は冷えてくると予想できるから、早上りのつもり。古書店街歩きは、今日のプログラムに入っていない。
 が訊けば、以前私が参加できずに、若者たちだけで自主的に神保町を歩いたさいには立寄らなかったというので、玉英堂書店の二階だけは観ておくとするか。たしかに、知らなければ入る気にならない場所だ。そこにある品物は、古書というよりも文化財だ。案の定、会長さんは瞳を丸くして、呆気にとられたふうだ。

 さてあとは珈琲と雑談で散開の運び。古書漁りの一服に腰を下す喫茶店として、若者へのお奨めはどこか。神田ぶらじる、さぼうる、古瀬戸など思い浮んだが、今日は神田ぶらじるとした。
 明日は高円寺の西部古書会館の予定。なんとしても、若者にお伝えしたいことがある。