一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

解釈

中森明菜『歌姫ベスト』

 カヴァー曲のベストセレクション CD の一枚。台所作業のわが愛用 BGM である。
 中森明菜の声が好きだ。しかも収録曲が私でも知る曲ばかりなので耳に心地好い。

 ということはオリジナル版の歌手なり作詞作曲者が、明菜さんよりもだいぶ年上だということになる。永六輔・中村八大という飛びぬけた大先輩の一曲もあるが、最年少の久保田早紀でさえ、たしか桜田淳子山口百恵岩崎宏美世代だから、明菜さんより七歳ほど年長である。
 これら飛びぬけた上下を脇に置けば、中軸をなすのは井上陽水荒井由実矢沢永吉玉置浩二松山千春さだまさし谷村新司ほか、私とさして変らぬ年代のミュージシャンたちだ。いやはやものすごい顔ぶれである。
 出だしの四小節を聴けば、誰の曲か想像がつくほど個性的な元唄のことごとくを、ときに途切れそうで危うく、切なげな吐息混じりの明菜節に変えてしまった、大胆極まるカヴァー集である。

 デビューは、後年「アイドルの当り年」と回想される年だった。が、中森明菜は同期たちの「可愛いでしょう、朗らかでしょう」路線から、いち早く脱け出したかに見える。音楽性の違いを、ご本人も感じていたのだろう。が、果敢に踏出してはみたものの、そこはお手本のない迷い路だった。
 けっしてアイドルではなかった、楽曲の先輩たちの唄を丹念に分析し、みずから唄ってみて確かめていったのだろう。豪華な元唄陣から中島みゆきが抜けているが、かつて楽曲提供を受けて、持ち唄として中島メロディーをさんざん唄った身には、今さらカヴァーの必要がなかったのかもしれない。カヴァー曲に籠められたこの人の想いは深そうだ。

 個性強烈なシンガーソングライターたちは、明菜さんの眼からは、どのように見えていたのだったか。年齢差から推せば、私にとって上は開高健から下は古井由吉あたりを眺めるかのように、見えていたのだろうか。久保田早紀岩崎宏美山口百恵については、私が青野聰や夫馬基彦や福島泰樹や小嵐九八郎を眺めるかのように、見えていたのだろうか。
 そう考えると、途方もなく大変なことだ。開高健から古井由吉までの間には、三浦哲郎がいて高井有一がいる。石原慎太郎がいて江藤淳がいて大江健三郎がいる。後藤明生がいて阿部昭がいて黒井千次がいる。各先輩がたからそれぞれ気に入りの一篇づつを取上げて、自分流に解釈して、唄い直して聴かせよと云われたら、これはもう大仕事である。
 中森明菜が唄う井上陽水を、松山千春を、あだや疎かに聴き流している場合ではないかもしれない。そしてこのアルバム収録曲のうちの何曲かは、たしかにこれもアリだなと、かように唄ったほうがむしろよろしいのではないかと、一瞬思わせてくれる。驚くべきことだ。

 偶然だろうが、好きな女性歌手の皆さんはどなたも、カヴァー曲を唄って元唄より魅力的ではないかと、一瞬なりとも錯覚させてくださる。若いほうから岩崎宏美さんであり、わが同世代では高橋真梨子さんであり、先輩では倍賞千恵子さんである。