一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

施す


 東京都からのダイレクトメールを受取った。諸物価急騰の影響を受けやすい都民に、食糧を施す施策だという。はっきり云ってくれても構いませんよ。「収入の乏しい気の毒な人」と。

 「おこめクーポン事業」というそうだ。九種類のコースから希望を選択し、同封の返信用はがきか Web にて申請せよとのお達しだ。うちの七コースは、米もしくは米となにかのセットとなっている。
(1)米25キロを二分配送(10+15)。(2)米25キロを三分配送(10+10+5)。(3)米15キロ+カット野菜水煮パック10個。(4)米15キロ+緑茶飲料1ケース。(5)米15キロ+果実飲料1ケース。(6)パックごはん30食+緑茶飲料1ケース。(7、Web限定)米15キロ+東京都産の野菜。あとの二コースは、(8)うどん(乾麺)+緑茶飲料1ケース+麦茶飲料1ケース。(9)緑茶飲料1ケース+麦茶飲料1ケース+果実飲料1ケース、となっている。

 以前、疫病下での困難支援とかで、取引金融機関を教えよとお達しがあったので、わがメインバンクたる巣鴨信用金庫を通知しておいたら、十万円が振込まれてきた。その後もナニガシかの理由で、五万円が振込まれてきた。国民全世帯とか貧困世帯とか、それぞれ理由は添えられていたが、要するに施しだ。
 お上がおいそれと金をくださるわけはないから、薄気味悪い気がして、そのまま手つかずにしてある。今度は食糧のかたちで、施しというわけか。

 たしかに米はありがたく、いただいて困ることはない。ただし私は横浜と東京とに育ったとはいえ、両親の郷里はともに米処で、今もその地に親戚が多い。盆暮れだ彼岸だ、新米の時期だ餅の季節だといっては、親戚のなん軒かが農産物をご恵送くださる。まことにありがたく、東京に住みながら年間とおして米というものを買った経験があまりない。
 郷里から届く米は、たいてい五キロ袋に入っている。どうかすると次のご恵送時期までに使い切ることもあるが、みずからスーパーで買い足すのはせいぜい二キロ袋だ。
 それを二回三回に分けるとはいえ、二十五キロくださると、急に云われても……。

 施しを受ける分際で贅沢申せる場面ではないが、農協(JA なる呼称、じつは好かない)だの農水族だのといった界隈の発想ではあるまいか。あるいは「日本人よ、もっと米を食べよう」とおっしゃる運動家界隈の発想ではあるまいか。
 物価急騰に対処するのであれば、時限立法で消費税棒引きにすればよろしいのではないのだろうか。
 「影響を受けやすい気の毒な貧民」をお助けくださるのであれば、所得の上限を撤廃して、裕福なかたから税金を頂戴いたせばよろしいのではないのだろうか。
 あれは消費税論議が盛んだった時代のことだった。「わしは二十億稼いだが、十八億も税金で持っていかれてるんだぞ」と、松下幸之助という人が大声を上げた。そりゃお気の毒という機運が世間に蔓延する間に、消費税導入が決っていった。
 後年思えば、税金十八億円に眼を惹かれるべきではなかった。経費もなにも差引いたうえで、個人収入が二億円も残ればいいじゃないか、という点に着目すべきだった。

 お上は、この場合は財務省はというべきだが、減税がお嫌いだ。物価急騰に対しても、気の毒貧民への救済についても、けっして減税を論議しない。いったん集められるだけ集めて、あとは自分の裁量で(権力で)施しをバラ撒くという発想になる。大蔵省時分から一貫している。「施す」ことはご気分がよろしいらしいが、「集めない」方策を講じることは親の仇よりもお嫌いらしい。

 がさて、ともあれコース選択である。海の家を開業するわけでもあるまいし、飲料ばかりなんケースも届けられては困る。うどんも口に合うものばかりとは限らない。結局は米を軸に考えることになろう。郷里から送られてくる五キロ袋を大事に大事に消費してきた老人一人家庭に、十五キロと十キロの米袋がドンッと届いてもなァ……。