一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

過渡期


 ニューヨーク州で立候補し当選した共和党所属の連邦下院議員は、かつて有名大学を卒業後、大手金融機関に勤務した。祖父母はナチスドイツの迫害を命からがら逃れた人で、母は同時多発テロの被害に遭ったという。動物愛護団体を設立して、数千匹の犬や猫の命を救った社会活動の実績をもつ。
 選挙公報に記載され、選挙運動期間中も強調された経歴である。

 これらがすべて、真赤な嘘だった。ばかりか、ブラジルでの小切手不正使用の嫌疑がかねてからあり、いったん中断されていた犯罪捜査が再開されたという。ほかにもいくつかの疑惑案件があるという。
 取材に対してご本人は、経歴詐称は認めているものの、犯罪行為についてはすべて否定し、犯罪を犯してないからには辞任の意思はないとしている。

 収まらないのは反対勢力であるよりも、真赤な嘘を真に受けて投票した支持者たちだ。わけても知友に投票を奨めて歩き回った、熱心な支援者たちである。だれに対しても合せる顔がなかろう。
 大手メディアへと批判の矛先が向く。なんの裏付けも取らずに、本人の申し出を鵜呑みにして、読者を騙しつづけたのかとの非難が集中した。当然だろう。

 じつは選挙前から、この男の言は嘘っぱちばかりだと、すっぱ抜いていたメディアがあった。週刊で発行部数五千部という、極小媒体である。編集主幹は候補者に直接面談取材し、裏取りして、嘘で塗り固めたこの男の正体を報じていた。
 時流の語彙にて申そう。「誹謗中傷」と片づけられ「拡散」されるに至らなかった。地元の有権者らは、今にして無念がリ、後悔しきりだという。

 日本ではまさか、これほどに露骨な事例は発生するまいと、おおかたの日本人は思うだろう。桁外れに国土の広い、多民族国家アメリカ合衆国に特有の事例に過ぎないと考えることだろう。
 それに日本人の心性には「恥」の文化が根づいている。だれかれの眼をごまかすことはできても、オテント様が視てござる。これは日本人にとっては、宗教ならざれども深い信仰心である。と、さように考える日本人が多いのではないだろうか。

 だが本当だろうか。家庭教育の崩壊だの地域共同体の崩壊だのと、眼に見えやすい案件を大声で持ち回る御仁が後を絶たぬが、それらの裏面にはすべからく、眼に見えぬ共通現象があって、つまりは日本人がオテント様信仰を手放そうとしているという現象ではないのだろうか。
 射程をもう少し延ばして、文明開化だの近代化だのといった過程の裏面で進行してきたのも、同じ現象だったのではないだろうか。「大切なこと、本質的なことはいつも、眼には見えません」と、星の王子さまも云っているではないか。
 日本人が劣化したとまでは思わない。ましてや旧に復せなどと無理筋を押すつもりもない。ただ将来の国家像や人口構成や民族比率を考えれば、程度の問題こそあれ日本人も多民族化してゆかざるをえまい。共通倫理や共通美意識を模索せざるをえまい。

 時代趨勢というものは、いつの時代も過渡期だ。一昨日の日記で触れた、東京杉並区在住のルポライター畠山理仁さんの、選挙に臨んでは候補者全員にとにかく面談して歩くというなさりようは、過渡期の混乱を乗切る草の根の知恵としてまことに得がたいと、改めて思う。