一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

切株遊び


 決着は、わが手でつけねばならない。

 久かたぶりに開通させた、建屋西側通路である。コインパーキングとの境界塀ぎわだ。ネズミモチがひと株根を降して久しい。なん年も前に幹を伐り倒してからは、切株から発したヒコバエが繁茂すると剪定鋏で断ち、またしばらく放置するというイタチごっこを繰返してきた。そろそろ終局へと向わねばならない。
 開通させた日に、切株から北へ伸びた根を二本、断っておいた。今日は南へ伸びた根を始末するつもりだ。スコップで根の形状を露わにしてから、ノコギリを使用する。小刻みにしか引けぬ空間なため、思いのほか時間がかかる。

 傷口から溢れてくる木屑が匂いを発するものか、それとも音や振動に反応してか、身の丈二ミリほどの小蟻が、どこからか集ってくる。あれよあれよという間に数十匹も、ノコギリ周辺の木屑にたかろうとする。まだ作業中だというのに、傷口を覗こうと身を乗出す奴もある。ノコに巻込まれる身の危険を感じないのだろうか。それとも身を挺して作業に抗議する特攻攻撃だろうか。
 小蟻の習性は知らない。嗜好も解らない。動きから推測すると、抵抗阻止の意向ではなく、先を争って新鮮な木屑をいち早く味わいたい、もしくは持帰りたい行動と見えなくもない。が、真意は不明だ。
 ノコが通って、一本の根を切断した。切株の形状から予想していたことではあるが、下にもう一本、似た太さの根が走っていた。南への二層構造か、なるほど。後日への宿題とするしかない。

 樹木の根を相手にするたびに痛感するが、思いのほか長い。遠くまで伸びている。見当をつけた方向をスコップで掘る。このあたりには洗面所と浴室からの排水管が通っていたはずだから、力まかせの荒っぽい作業もいたしかねる。
 根が姿を現したら引抜きを試み、力及ばねばその先をまた掘る。横へ這ったり深くへ潜ったり、敵もしぶとい。分岐してより多方面に展開して、盤石な体制を築こうとしている。
 これより先はいよいよ細根が密生して地中水分を活発に吸うというあたりで、根はたいてい切れる。私が引っぱる力に耐ええなくなるのだ。そこから先は、当方も追求を断念せざるをえない。また地中奥深くへ潜った支根についても、ある程度で断念して、剪定鋏を使うしかなくなる。
 全長一メートル半ほどを掘りあげた。あとは他日を期するしかない。

 もとより樹木に罪科があるわけではない。モチノキの仲間にあってもネズミモチは、鳥たちにとって美味なる実を着ける。たまたま運ばれてきたこの場に、正直に根を発したに過ぎない。幼木のうちに正しく処置せずに放置してきた、私の責任である。わが命あるうちに、決着させなければならない。
 北海道へ入植したり、南米移住した先人たちは、このなん十倍なん百倍の巨木巨根ひと株になん日がかりもで、なん十年ものあいだ格闘したのだったろう。祖父さんは生涯根っこを掘って森を拓いた。父さんは自給自足の作物を植えた。孫たちは視はるかす広大な農園主になった、というようなことだったのだろう。
 引きかえわが暮し、わが文学ときたら……。じつに紋切図式的で漫画的な、笑止きわまる感傷も湧く。