一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

三年目〈口上〉


 お日和よろしきゴールデンウィークのさなか、お愉しみのご予定さぞや多かろうと拝察いたしますが、さようななか退屈な老人の日常をただつづりおりますだけの、とりとめなきブログへとお立寄りくださいまして、まことにありがとう存じます。
 お立寄りくださいましたどなたさまにおかれましても、いっこうに関わりなく、つねにも倍しましてお退屈な、まことにもって私一個の事情によりまして、ひと言ご挨拶を申しあげる次第にございます。

 当「一朴洞日記」の第一回投稿は、2021年5月3日でございました。機械音痴の私を励ましてくれた若き友人らの手を煩わせまして、両脇に付添ってもらいながら、まずは試運転とばかりに、第一回を投稿いたしたのでした。
 それより数えますと、昨日をもちまして730日の連続投稿。満2年を閲しましてございます。本日この投稿より、第三年目に入りましてございます。よろづにつけ飽き症で、とかくものぐさを決めこみがちな私にいたしましては、よくもまあ続けてこられたものよと、知友かたがた声を揃えて意外の感想を寄せ来る始末にございます。

 我ながら、よくもこだわって連日投稿いたしたものよと思わぬわけにはまいりませぬが、同時にしょせん私一個にてはいかんとも為しがたきこと。なんと申しましても、お立寄りくださいました読者さまがたによります、お励ましあっての730日でございます。日ごろ直の言葉にて申しあげる機会はございませんので、この区切りの日にさいしまして、改めて深くふかぁくお礼申しあげる次第にございます。

 さて三年目。かのピタゴラスに教えを乞うまでもなく、初年度の各回は、毎日がいわば点の記述でございました。二年目の毎回は、前年と当年の同月同日という二点間を結ぶいわば線分でございました。本日よりは、毎日が三点間を結ぶいわば三角形。初めて面積を持つようになります。近き過去を想い今日を想いますにも、反省の視野がグッと複合的となります。いえ、さようになれば望ましいと、念じおるだけではございますが。
 もとより方針に変更はございません。天下国家を語らず。読者のお役に立とうなんぞとはかりそめにも配慮せず。欲惚けは断固排して色惚けは歓迎。この三条でございます。

 筆力もアイデア湧出力も、それらを金銭と交換していた社会人時代とは比べようもなく、無残に耄碌し果ておりまして、いかほどの新機軸が工夫できますことやら、絶望的な気分にも誘われます。その反面、なにを申したところで汚す名誉も立場もなく、失う財もなく、わが醜態により恥をかく家族もございませぬ。
 いわば天下御免でございます。つたなき所見にアンチのお声が寄せられようとも、いっさいの責任は負いかねます。(火付け・窃盗・傷害その他には責任を負いますが。)

 今後もさようにおぼつかなく、信憑性も功利性もきわめて乏しい雑記ではございますが、どうかどうかお見捨てなきよう、ふと思い出されましたおりにはお立寄りくださいますよう、伏してお願い申しあげ奉ります。

 一昨年の今日、第一回投稿つまり試し投稿の添付写真は、これでございました。パソコンは変っておりませぬ。ボールペンほか筆記具につきましては、概して同製品に買い替えますので、姿は変らず代替りしております。
 まったく異なるのは老眼鏡でございます。当時はまだ、イワキメガネさんで検眼のうえ、専門店で物色いたしました、まだしもいくらか高価な品を愛用しておりました。
 今からは信じがたい想いでございます。現在は、ダイソーさんにて調達の本体価格100円の老眼鏡四台と眼鏡型拡大鏡一台とを、宅内の然るべき場所に分散して定置いたし、一台はハンドバッグ用途の肩掛けポーチに常時携帯しております。脆い構造ですので、ある程度の期間で折れますが、すぐ買い足しております。