一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

秋たけなわ〈口上〉


 東西とうざ~い!
 猛暑日の多い夏でございましたが、過ぎてみればいきなりの秋たけなわ。時の移りゆきが改めて身に染む季節でございます。
 皆みなさまにおかれましては、つつがなくご健勝の日々かと、心よりお慶び申しあげます。

 あちらへ飛んではこちらへよろけ、まことにたどたどしき当「一朴洞日記」ではございますが、おかげさまで本日この投稿をもちまして、書き起しより九百日連続投稿とあいなりましてございます。たんに八百九十九日目の翌日に過ぎぬとは申せ、私一個にとりましてはやはり、よろづに目印となります通過点にはちがいなく、ひと言ご挨拶申しあげさせていただく次第にございます。

 七十四年の来しかたに「完成」「完遂」というものを、ただのひとつも持たぬ男でございます。生来のものぐさ気性を正すこともなく、いずれの分野・場面におきましても、しょせんなるようにしかならぬと、たかを括って生きてまいりました。苦労に苦労を重ねた果てにようやく手に入れたといったようなものを、なにひとつ持合せぬがゆえの、物事にたいしても金にたいしてもの執着のなさゆえでございましょうか。
 そんな私でありますのに、避暑休みも年越しもなく、連日投稿してまいることができましたのも、ひとえにお立寄りくださいます皆みなさまのご厚情の賜物と、改めまして感謝申しあげる次第にございます。まことにまことに、ありがとうございます。

 当はてなブログのカレンダー機能の画面からは、昨年の今日や一昨年の今日の日記へと、ワンクリックにて一瞬で立戻れる機能が備わっております。つね日ごろは、いったん書きましたものを読返す興味をほとんど持合せませぬ私ではございますが、あまりの便利さに、ついついかえりみる場合もございます。着実な足取りで耄碌しつつある自分を、確認することができます。このぶんでは遠くない将来、思索はまとまらずに支離滅裂となり、文章の体をなさず日記たりえぬ日も、やってまいりましょう。
 あるいは引導を渡してくださるかたもなく、ますますだらだらと、ただ恥の上塗りを重ねてゆくこととなるやもしれません。

 まさしくそこに、矛盾に満ちた微妙な点がございます。そもそも当「一朴洞日記」は「老残妄言」と副題いたしまして、老いさらばえ行く自分をさらけ出し、眺めることを眼目のひとつとして出発いたしました。恥かきは覚悟のうえでございました。
 ただしそれはわが身の恥を、ひいては人たるの滑稽を視詰めるとの謂いでございまして、描く文章が崩壊してしまいましては、実現いたしようもなきことでございます。ところが今や文章の、すなわち私の日本語の崩落傾向を眼の当りにする心地がいたしております。いささか危機めいてまいりました。ピィ~ンチ! でございます。

 思考力が崩壊するか、文章力が崩壊するか。老化とはいかなる側面にいかなる順序で到来するものか。新たな観測課題が設定されたとすら、申せるかもしれません。
 ともあれ皆みな様にたいしましては、ますますお退屈な領域へとお招き申しあげる場面が発生するやもしれず、これまでにも増してのお眼よごしを書いてしまうこともございましょう。錆びつきました頭で、せいぜい新機軸も工夫いたしますれば、あれやこれやボロの出ます点につきましてはどうかご寛恕のうえ、今後ともご愛顧のほど、伏して伏してお願い申しあげます次第にございます。
 チョン!(幕)