一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

遡上する

 大きな鮭の切身。わが膳にあっては、じつに久しぶりだ。

 月例のユーチューブ収録日だ。夕刻には、ディレクター氏が機材トランクを提げてご来訪くださる。悪習慣で陽が高くなってからのそのそ起きだすから、念入りな炊事をしている間がない。買い食いで済ます算段だ。加えて間食(おやつ)の仕入れも必要だから、まずは買い物に出た。

 一回十五分以内の番組としてまとめたい気はあるものの、台本はいっさい用意せぬ無手勝流の出たとこ勝負だし、固有名詞や細部はほとんど忘れている。さらに近年は、歯の治療を怠っているため発音が聴取りにくいし、定年後は滑舌の劣化もひどい。自分でも恥じているから、どうしたってゆっくりと余分に喋って、あとはディレクター氏の編集技術にお委ねするということになる。
 そんな番組を、たいていは四本録りする。週一でアップロードするとして、一か月ぶんだ。正味一時間。余分な箇所や休憩時間を含めたって、二時間で仕上げるべき仕事だ。本来であれば。
 ところがである。氏も私も雑談ばかりしていて、なかなか仕事に取りかからない。六時間も七時間も、二人で過ごすことになる。途中で喉も乾くし口寂しくもなる。小腹が空いてくる。飲料や駄菓子や、スーパーのおにぎりやバナナなどを用意しておくことになっている。つまり収録の仕事は、まず買出しから始まるわけだ。

 もはや仕事と考えられる用事など月に数回しかないから、在宅用件であれ外出用件であれ、仕事の日には軽いゲン担ぎをする。いつもならカツ丼、カツカレー、カツサンドイッチが思い浮ぶのだが、そしてサミットストアにはさような商品もふんだんに積みあがっていたのだが、どういうわけか今日に限って、ふと「立派な鮭の切身だなあ」と思ってしまった。
 鮭は命懸けで生れ故郷へと川を溯る。途中で力尽きて、または災厄に遭って倒れる者も数知れない。それでも満身創痍となって、志のままに邁進する。これから私は、八十五年も前に、しかも遠い外国で発表された小説なんぞについて、紹介のお喋りをするのだ。鮭の心映えだって十分にゲン担ぎとなるではないか。自分に向けてさように言いわけを付けたのだった。

 八百五十キロカロリー。私が購入する買い食いとしては、破格に豪華な弁当だ。まずレタスとポテサラと梅干と大根漬とを角皿に移す。これらは電子レンジで加熱せぬほうがよい。冷蔵庫からラッキョウとニンニク味噌漬を出して角皿に合せる。マヨネーズも出して、レタスにかける。
 もう少しなにか足そうと考えて、イワシ缶から切身をいくつか、それに蕪の浅漬けを添えてみた。学友大北君から頂戴したご丹精の蕪をすべて、薄切りにして甘酢漬けにしておいた。びっくりするほどの量ができてしまったが、毎食少量づついただいているうちに、えらいもんで残り少なになってきている。

 近年では、鮭の切身はがいして塩甘で、口元をひん曲げるような塩辛い鮭は人気薄だと聴いてはいたものの、なるほどかようなるものかと感じ入った。これもヘルシー志向のひとつだろうか。いかにも保存食といったような、塩引き鮭の塩辛さは、現代の良識人向きではないのだろう。
 う~む、素材の味が活きている……そりゃそうだろうさ。けれども私は、そんなことは云ってはいられなかった時代と文学とについて、ほんの数時間後には喋っているはずだ。