一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

男爵芋

 目下私は芋大臣。見境もなく、ふんだんにじゃが芋が食える。幸せな気分である。

 健康管理には、日に二度の食事の第一食をチャント飯、第二食をテキトー飯とするのがよいと、勝手に考えている。が、なかなか考えどおりにゆかぬ日も多い。就寝起床が不規則なうえに、酒が入る日があったりもするからだ。眼醒めたところで、さて躰に機嫌を訊ねてみたら、あまり整った食事をしたくないとの応えだったりする日もある。
 本日もさようだった。しばし思案して、素麺にて胡麻化した。が、じゃが芋一個だけは、併せて食うことにした。

 先日大北君がお送りくださったじゃが芋の品種は、「男爵」だという。あれこれ試して、愉しんでおられるのだろう、昨年は別の品種だったと記憶している。
 男爵芋は丸い(球形により近い)。芽の窪みが深い。ピーラーで皮剥きしても、窪みはほとんど残る。包丁の角でほじくらねばならない。苦にするほどの作業では、むろんない。むしろ特色であり、愉しみですらある。
 その代り、男爵のホクホク感は格別である。煮物にするのであれば、メイクイーンが勝る。芽の窪みが浅いから、きれいに皮剥きできるし、身はねっとりして固めだから、煮崩れの心配がない。が、蒸したりふかしたりして、塩だバターだで食うのであれば、断然男爵である。

 川田龍吉男爵という人がスコットランドから種芋を輸入して、北海道で研究栽培したことによる品種命名だという。明治四十年代のことらしい。七飯村の農場だったというから、函館の北にあたる。今の七飯町の売りはリンゴのようだが。
 土佐藩士の家柄で、父親は後の日本銀行にあたる銀行の総裁だった。いわば薩長土肥出身で、明治期の財界金融界要人のひとりということか。龍吉は慶應義塾医学所に入塾するも、ほどなく中退。船舶機械技術を学びたくて、スコットランドグラスゴー大学に留学した。グラスゴー造船業の盛んな都市だった。七年間というから、新技術習得に血眼だった当時にあってさえ、ずいぶん熱心な留学だったのではなかろうか。
 帰国後は、製鉄会社や郵船会社を経て、造船会社の重役となってゆく。父歿するにともない、亡父の爵位を継いで男爵となった。
 スコットランド留学時代には、船舶機械技術以外に農業にも関心を寄せ、新種作物の輸入や品種改良にも力を注いだという。種芋を輸入した馬鈴薯の英語名が現場ではよく判らず、川田男爵の芋ということになったそうだ。

 つね日ごろじゃが芋と玉ねぎとは、いかようにも使え、なにとでも合せられる、いわばユーティリティー野菜のツートップである。青果店で購入するさいには、一袋になん個入ってるから、これこれは煮物にこれこれはサラダにと、考えを巡らせ目算している。ところが今回大北君から頂戴したのはダンボール箱入りだ。一日にして私は、野菜お大臣となった。先のことなんぞ考えずに、毎食むやみに使ってもかまわない。すこぶる贅沢な気分である。
 常備惣菜や香の物類を冷蔵庫から出すのも面倒なのに、じゃが芋だけはさっさと皮を剥き、少量の塩を振ってふかす。もうもうと湯気が立っているうちに、拙宅ではバターと称んでいるマーガリンをなすりつける。
 素麺にじゃがバターって、どうよ、だって? 放っといてくれっ。