一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

夏の酒



 とくに銘柄にこだわる派ではない。酒ならナンデモイイ派である。だからといって、美味いかそれほどでもないかを利き分けていないわけじゃない。

 酒を進物とする場合のみ利用する百貨店の酒類コーナーがある。別に相談できる酒屋も一軒ある。蔵元による触込みには眼を通し、店員のお奨めにも耳を傾けはするが、最後は自分で決断する。現今の流行や評判と私の好みとのあいだに、若干のズレを感じているからだ。
 酒は酒臭いのが好い、女が女臭いほど魅力的なのと同じだというのが、遊び惚けていた時分に体得した動かぬ信念である。「今でも、これを選ばれるお客さまが、ごくたまにいらっしゃるんですよねえ」などと、古手の店員からおだてられることもある。
 進物もしくは奉納品として一升瓶を選んで、同じ銘柄の小瓶がある場合には、一本買って帰って、自分で飲んでみる。試飲コーナーが設置されてある売場では、遠慮なく試飲させてもらうことにしている。

 だがそのことと、わがキッチンドリンキングとでは、まるっきり基準が異なる。独酌用としては、スーパーにずらりとならんだ紙パック酒を、値の安いほうから順繰りに飲んできた。途中でとある銘柄に立ち停まったりしつつもおおかた試し了え、このところ最大手メイカーの「樽酒」という商品を買っている。樽の香を移してあるとの触込みだ。樽かなにか知らぬが、たしかに木の香はする。
 五十歳代のおよそ十年ほど、山形県米沢の樽平酒造の看板商品「樽平」を、だいぶ飲んだ。今の世に珍しい、というかほとんど姿を消した昔ながらの製法が売りの、本当に樽の香のする酒だった。同じ蔵元の「住吉」が時流に合ったスキッと切れ味系の酒で巷の大人気だったが、「樽平」でいいじゃねえかと私は思っていた。
 ま、その頃の良き思い出というわけでもないが、最大手メイカーの「樽酒」も、安くて重宝だ。

 酒や洋酒類と並んで、梅酒も年間を通じてよく飲む。ところがついひと月ほど前のこと、スーパーの酒類棚の梅酒の隣に「シャインマスカットのお酒」という商品が眼に着いた。それまで知らなかった。
 生産農家さんだか農業試験場だかにて、長年品種改良のご苦労のすえに開発された糖度とびっきりの最高級品種だったのが、種子だか苗だかが韓国に流出してその地で特許申請され、今では韓国から中国への有力輸出品目にまでなっているという、あのシャインマスカットですな。実食経験はおそらくあるまい。少なくとも、いただいたケーキの上にひと粒載っていたことがあったとしても、眼の前にひと房丸ごと置かれたことは一度もあるまい。
 ここは一番とばかり、梅酒に替えて買って飲んでみた。梅酒よりさらに甘口にして、さっぱり感が強く飲みやすい。思わずここ数回、底を突くたびに買いつないでしまった。が、だいぶ慣れた今でも美味いとは感じるものの、こりゃいつかは梅酒に戻るだろうな、との予感はある。

 季節が巡りくるたびに登場する盃・ぐい呑み・グラス類といえば、これっぱかり。あとはウィスキー・バーボン・焼酎をお湯割りか水割りするさいのデカイ湯呑だのタンブラーだのがあるきりだ。かつて愛玩した猪口類は、食器棚の奥に長く伏せられたままだ。
 値の張るものはない。素性のしっかりしたものといえば、左端の脚付き盃だけだ。古い友人の陶芸家土屋芳樹さんが、成形や染付け図案の実験研究課程で挑戦された品で、四十年ほど前のものだ。試作品といっても、工房内だけでの実験というわけではなく、いちおう陶印も刻まれてある。
 あとは陶器市やセールで拾いあげた現代の無銘品。右端のグラスにいたっては、ウィスキーかブランデーに付いてきたサービス品である。じつはこのオマケ品が私の手には思いのほか馴染みが好く、夏季の冷酒にも果実酒にも最多当番回数を誇っている。

 三十代から四十代の前半、ボロ市骨董市を面白がって歩いた時期があった。毎月第一日曜は新井薬師さま境内、第二日曜は乃木神社さま境内が定番。門前仲町まで地下鉄に乗って、富岡八幡宮さま境内の大市まで足を伸ばしたこともあった。有名な世田谷ボロ市はあまりに店数が多く、雑踏も尋常でないため、三年ほど出掛けたきり遠ざかってしまった。
 陶磁のみを観ていたわけでもない。刃物金物、友禅の染型、和菓子の木型など職人衆の道具類が面白かった。古い印鑑ハンコ類にも興味が湧いた。そして石細工など手間の割に用途不明の工芸品がなにより面白かった。
 その時分の拾い物で、まだ壊れずにあるものも残っているが、取出して愛玩する機会はめったになくなった。つまり今の暮しには、オマケグラスがちょうど似合いということだろうか。