一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

先達批評家たち



 影響? 受けたに決ってる。どんな影響? 憶えてなんぞいるもんか。

 はっきりと記憶され、その後おりに触れて思い返される深刻な影響というものがある。「出逢い」なんぞと表現される場合も多い。
 それとは異なる影響もある。そうだったのかなるほどね、といった読後感を得ていちおうの納得をしたまま、記憶の彼方に押しやられていったようでいて、無意識のうちに自分の思索や判断の参考となっていたりする。自説なんぞというものは、つまりは先達の片言隻句のモザイクだ。核心部分にごく微小な「資質」「持前」というようなもんがあって、そのタネに巨大量のコロモをまとわせたもんが自分である。

 軍国期から戦争期・敗戦後飢餓期を主たる視野とする文芸批評がいちおうの役割を了えて、昭和初期までの「実生活重視」や「芸術至上」がふたたび主たる視野として浮上してきたころ、新たに登場した象徴的文芸批評家となれば、江藤淳を挙げねばならぬが、今は措く。なん年か後に、前後する世代の批評家たちが陸続として名乗りを挙げてくる。桶谷秀昭磯田光一、秋山駿、高橋英夫、月村敏行その他の面めんだ。
 創作家は、感性を直截に突出して資質そのままの作風で成功する場合もあるから、齢若くしての登場もありうる。批評家はそうはゆかない。感性により成したところを、先行業績や既存の論理による吟味にかけてからでなければ、読むに足る仕事にはならない。一丁前となるまでに手間がかかるのだ。同世代の創作家より登場が遅れるのがふつうだ。江藤淳が例外的に早かったのだ。後続の同世代の足が遅かったわけではない。
 これら批評家群の著作の一部を、古書肆に出す。出し切れない。今回は一部である。

 第七次『早稲田文学』主催による講演会が大隈講堂で催されたとき、私は舞台袖で謹聴する学生の一人だった。新進気鋭の人気 OB 講師がたの横顔を拝見したわけである。前説は立原正秋編集長で、講師は三名だった。先頭は野坂昭如で、ストリップ興行と文壇との相似および相違を紹介した大爆笑芸しんがり五木寛之で、スペイン戦争の意味合いを論じた理知的かつ教養的なる颯爽芸だった。
 あいだに挟まったのが秋山駿の、俯き加減で口ごもりがちの、なにやら謎めいた口下手芸だった。二人での対話は差支えないのに、三人以上の場で話すのは極端に苦手だなんぞとおっしゃった。なん百人もの学生を前にした大隈講堂でである。報知新聞を退社されて間もないころだったと思う。
 翌年あたりから、文芸学科の講師としてご出講されたが、あいにく私は聴講しなかった。聴講した学友の弁によると、どうやら教室では口下手ではなく、むしろ上機嫌で語られる場面も多いらしかった。ふ~ん、と思ったもんだった。

 高橋英夫ホイジンガの翻訳でも著名なドイツ文学者だが、この世代の文芸批評家でもある。最初の評論集『批評の精神』は、小林秀雄以外の先達批評家たちをぐるりと列伝的に考察しながら、ドーナツの穴の位置に小林秀雄がいた。本丸は小林秀雄だとはだれの眼にも瞭かなのに、まず外濠を埋めてからというような周到さに一驚したものだった。
 少し上の世代に属するが、相前後して活躍した批評家森川達也の『評論集成』全六巻のうちの第五巻「埴谷雄高論・島尾敏雄論」は、今もって重要な一冊かと思われる。
 逆に松原新一はより下の世代に属するが、江藤淳同様に若くして登場した。

 いずれも無意識のうちに影響を受けたと思われるが、確認するほどの酔狂心はない。
 高橋英夫『異郷に死す 正宗白鳥論』を残す。松原新一『愚者の文学』を残す。正宗白鳥宇野浩二広津和郎唐木順三本多秋五といった、渋いところを論じてある。わが再読の可能性皆無としない。


 篠田一士の批評に注意していた時期がある。徹底した博識洋学派で、先週ロンドンのジャーナルにこんな書評が挙ったなんぞと、こともなげに口を衝いて出た人だ。博識洋学派の代表と思われた丸谷才一ですらが、自分など篠田さんの足元にもと謙遜して見せた相手である。学識の多寡のみならず嗜好の根本において、私とは似ても似つかない。
 西洋文学型の長篇ロマンの可能性ということを、つねに考えた人だ。有島武郎或る女』や横光利一旅愁』について、なるほどさような読みかたもあるかと、眼を啓かれた思いがしたものだ。
 七面倒臭い定義論をここでは避けるとして、日本近代文学史の中心線になんとなく「純文芸」の移り行きを想定するとして、それとは異なるもうひとつの、実在しなかった、もしくは実在しえようもなかった文学史を想像してみることは、無益ではない。篠田一士の眼には、さような文学史がくっきりと見えていたと思われる。
 が、巨きなことを考えるには、私には学識がなさ過ぎ、もはや時間がなさ過ぎる。

 恩ある先達批評家群に今生の別れを告げるべく、箱詰めしながらペラペラと目次を繰ったり、あとがきに眼を走らせたりしているうちに、気が変った。土方定一『近代日本文学評論史』一冊は残す。