一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

カボチャの挨拶

 今日は玄関から門扉までのわずかな飛石道の東側、すなわちカボチャの蔓や葉との別れの日である。
 毎朝ニ三輪づつながら、山吹色の花も姿を現しては萎んでいる。観よう観まねで摘花授粉させてみようかとの、酔狂心を起しかけもした。あまりの無鉄砲と、自重したけれども。
 飛石に沿うように、二本の蔓を南北に向けて、それぞれ五メートルほど伸ばした。北へはこのまま玄関脇をすり抜けて、建屋の横手方向にまで伸びてゆきそうな勢いだった。南は旧鉢棚の残骸だの門扉だの、立っているものに絡み着いて垂直方向にも伸びようと試みていたので、引き剥がして蛇のように地をのたくらせておいた。

 むかし鉢植えだった君子蘭を野生化させるつもりで、この春株分け分封したとき、地味の足しにでもなればと地中に投じた生ゴミのうちのカボチャの種子が、芽吹いてしまったのだった。初めての経験だった。へぇ、観ていてやれと面白半分に放置しておいたら、こんなふうになってしまった。
 が、酔狂はここまでだ。小豆畑に芽吹いた麦は雑草である。農業や園芸の世界では厳格な定義だ。農地ではないが、ここは無目的地ではない。至上命題とすら申せる目論見がある。バルブが集団化して塊となった、彼岸花の球根集団を、ここへ移動させねばならないのだ。
 敷地内の数か所に彼岸花の球根集団がある。いずれも、ごく珍しいとされる白花種だ。それらのうちの最大最強集団が門扉近くにあるのだが、そこは早晩東京都から召上げられる土地だ。白花を存続させるとすれば、安全地帯へと早めに植替えておかねばならない。で、本日の作業となった。

 千葉県産や群馬県産が品薄の季節には、ニュージーランド産やメキシコ産が入る。四季をとおして、カボチャを食う男である。玉ねぎ・じゃが芋・人参の鉄板三強を除けば、もっとも仕事量の多い野菜だ。登板回数という点では、抑えの切り札ショウガという名脇役があるけれども。
 長年の愛顧を多として、カボチャが挨拶に来てくれたものだろうか。カボチャ界の定連客リストに、私も登録されたのだろうか。手荒く扱った果てに、ほかの生ゴミと一緒くたに冷蔵したり冷凍したり、ろくな養生もしなかたはずだが、芽吹き蔓を伸ばし、花まで着けてくれた。ひと声掛けてくれたとしか思えない。まったくもって『森は生きている』の読み過ぎである。

 で、東側には彼岸花の新天地を拓かねばならない。やがて境界を区切らねばならぬ場合も生じようかと、余剰ブロックを処分せずに積んであったが、西側へ移す。すなわち数日前に粗っぽく草をむしって、メロンやバナナの皮を埋めこみ、様子を看ていた場所だ。あちこちで働いていたブロックのうち、用済みになった場所に居続けている単体いくつかを、このさい集めて積み足した。まだまだ単体もしくは数個組のブロック現場はある。が、今日は作業半ばにて保留とする。

 空模様は好くても紛れもなく秋とばかりに、あなどって午後三時に作業開始したものの、さすがにまだ陽射しはあり、三時半には息切れしてしまった。草がなくなって地面が露呈したあたり一帯に、如雨露で水撒きして、そうそうに撤収手筈に入る。
 短時間作業ではあったが、刈草山の嵩は大きい。カボチャ界よりの丁重なるご挨拶、たしかに受取り申しさうらふ。