一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

邪道



 山梨のご郷里から送られてきた柿の、お裾分けだという。

 修士論文執筆が佳境に差しかかって容易でないという、写真学科の女子大学院生に無理を願い出て、ご足労願った。情景写真をなんカットか、撮影していたゞきたい旨、依頼した。
 月末の終末は、ユーチューブの収録日である。ディレクター氏が機材一式を収めた総革のトランクを提げてご来訪くださる。文学談やら昔噺やら、月に一度の歓談機会だ。せいぜい二十分ほどの音声を四本録りするだけだから、正味二時間もあれば済む作業だ。スタジオ借りでもしているなら、さような運びとなるところを、次から次への脱線噺で、毎回彼がスマホを取出して、終電乗換え時刻を確認する破目となる。

 彼の生業は学習塾の塾長さんで、週末も休日ではない。それどころか書入れどきだ。どういった開講システムか詳しくは承知していないが、月末の週末だけが終日空きだという。
 貴重な休日だろうに、こんなところで駄弁っていてよろしいのか。毎回面目ない気にさせられる。奥さまも呆れておいでだろう。ウチの宿六、せっかくの休日だというのに、あのジジイんとこへ行っちまうと、その日のうちに帰ってきたことがない。オカンムリかもしれない。
 申しわけに、今回は女性カメラマンにご足労願った。ご亭主はこんふうに仕事しておられますよ。ジジイがいなくなった後も、ご亭主のお骨折りはきっと残りますよ。その証拠写真である。
 ところが、女性カメラマンからはギャラもお支払いしていないのに、あべこべにお土産をいたゞいてしまった。農家であるご実家ご自慢の新米に添えて、見事に色づいた柿である。大好物だが、例によって日ごろ自分から買い求めることはない。年に一度の贅沢品となる。

 老舗の和菓子屋では、職人見習いの小僧さんの時分から、柿だけはよく熟した上物を食べさせたもんだという。この甘味加減を舌に叩き込んでおけと。
 苺だろうが桃だろうが柑橘類だろうが、ほかのいかなる果物だろうが、今でこそ品種改良が進んで、それぞれ全国各地の名産品となってはいるが、そもそもはいつの時代にか海外から伝来したものである。が、柿だけは日本原産か、もしくは記録も伝承もないほど昔から日本にあった。そして完熟柿の甘味こそが、日本の甘味の上限であって、上品な和菓子の餡は、完熟柿の甘味を超えてはならぬとされた。それ以上の甘味は人工的な盛上げ、いわば邪道だというわけだ。
 遺憾ながら、私の舌にそのわきまえは備わっていない。茹で小豆の缶詰の蓋を開けて、スプーンですくって舐めては、この甘味は俺に合う、なんぞと云っている。大量の砂糖と人工甘味料と、それらを引立てる塩加減やその他の微量調味料が入念に混ぜ合された味にちがいない。邪道の最たるもんだろう。

 幼いころから上品なものを食べつけて、よくよく舌が肥えておられるのだろうご婦人がたが、銘菓を口にされ「ウ~ンさすが、甘過ぎなくってイイ」なんぞとおっしゃる。きっとそのとおりなんだろうと、ゆめ疑うものではない。疑うものではないけれども、私は下品で邪道の、庶民の甘味駄菓子で結構だ。
 ご来訪くださるディレクター氏とカメラマン嬢には、長時間いていたゞくので、手軽なお八つを用意する。今回は「源氏パイ」に「ひと口つぶチョコレート」に「どら皮」(どら焼の皮だけ、つまりパンケーキだ)、おにぎりにバナナに缶珈琲。サミットストアかビッグエーかで買えるものばかりだ。私が好きだから買った。


 前夜ちょいと根を詰め過ぎて、思いのほか寝過ごしてしまったため、駄菓子の買出しのついでに、サミットストアの弁当コーナーに立寄った。台所時間の省略である。この店の弁当はたっぷり豪華でいつも美味い。けれど私には豪華過ぎる。ご婦人がたが軽いランチに、などとおっしゃるハーフサイズ弁当が、ちょうど好い。
 毎度の験かつぎだが、大事な仕事の前には「かつ」の付く食べもの。本日は「ミニかつ丼」なり。
 愚かしい。無知無学。迷信。前近代的。下品。邪道……。放っといてくれっ!