一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

スタジオ



 なんともむさ苦しい物置空間だ。これでもれっきとしたユーチューブ収録スタジオである。

 ほぼ月一でディレクター氏が、革製トランクにぎっしり詰った機材をひっ提げて、ご来訪くださる。私は場所と声とを提供するだけだ。画像創りも音声編集もチャンネルへの投稿も、すべてディレクター氏任せだ。
 かつては亡父の仕事場だった。母も手伝っていた。近隣のかたがたくさん見えた。私が足を踏入れる機会などほとんどなかった。半世紀以上も、父が地域貢献した場所だ。

 両親とも亡くなって、主のない部屋となった。道具類・機械類はほぼ処分した。処分に困るガラクタだけが、わずかに残っている。薬品類も残っている。素人が手出ししてはならぬ有毒物が混じっていると危険なので、この建物を取壊すときにまとめて専門業者さんに依頼するつもりだ。
 六十年選手の机が残っている。引出しの中身はあらかた処分した。あとは一括してゴミにしてよろしいものばかりだ。机そのものはまだ使える。私の部屋へ運んで再登板可能だ。パソコンをもう一台増やすさいに不可欠となろう。今は作業台として役目を果しているので、まだここにある。
 茶の間だった部屋から、卓袱台を二卓運び込んだ。毛布を掛けて、ご近所のかたと家庭麻雀に興じた時代もあった。今は二卓を段重ねにして、テーブルクロスを掛け、収録デスクとしてある。あと一時間もすれば、収音マイクやらタイムクロックやらパソコンやらがここに載る。やたらに煙草をふかす私と、パイプ煙草を愛用するディレクター氏のために、ふたつの灰皿も載る。

 収録スタジオでない日は、学生サークル古本屋研究会の在庫と資財の倉庫だ。在職中に顧問教員だったご縁で、今もここが倉庫兼作業場となっている。
 収益性皆無の空間は一日も早く始末して、売却するなり活用するなりすべきだと、どれだけ勧誘を受けたか知れない。元手をかけて資産価値を高めるべきだとのご忠告である。すべてご辞退申しあげてきた。借金をして頭金を工面し、ローンを返済しながら月づきの収益を得れば、老後は安泰の左団扇だとのお誘いだったが、さような生きかたは気が進まない。金銭面だけを考えるのであれば、なるほどそれが賢い選択かもしれない。けれども、得すればよろしいというものではなかろう。

 隅には、小ぶりの台を白布で覆っただけの粗末な祭壇が設けてある。両親他界後、仏壇が階上にある拙宅では、お詣りくださるおかたに上っていただくのも恐縮で、玄関口に近いこの場に、遺影と位牌とを並べ、線香立てと鈴(りん)とを置いただけの簡易祭壇とした。仏壇の出張所である。母の十七回忌が済み父は来年あたり十七回忌となる今、ご来訪のかたなど、もうなん年もない。つまりは私のずぼらで、置きっぱなしにしてあるのだ。それでも私独りは、水を替え線香を焚いている。
 ディレクター氏も古本屋研究会の学生諸君も、線香臭いスタジオや倉庫で作業してくださってるわけだ。オカルトめかして申せば、亡父亡母の眼前でユーチューブ収録し、ごく細い糸として残る旧職場での使命を果し続けている。

 このさき長くは続けられない。東京都による都市計画の一環として、拙宅前の道路が拡幅されることになっていて、いずれこの建物は取壊され、敷地の半分は接収されることになっている。筋向うの音澤さん邸では、つい最近ご自慢の庭木を伐り、改築ご準備に入られた。これで向う三軒両隣のうちで、手着かずのまま頬被りしているのは、拙宅だけとなった。