一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

点検


 やはり歪みが来ているなァ。経年使用による想定内変形か、それに加えてこの熱暑による一時的変形だろうか。だからクソ暑い日に調べなきゃなんねえんだ。かろうじて想定内数値ではあるが、要注意だな。お~ィ、記録よろしくゥ。

 私は下り電車を待っているのである。午後一時半を回った。昼日なか老人の外出は控えよと、ラジオから云われていた。作業は駅構内の上り方面軌道上にて続いている。
 鉄道線路上での仕事を一度してみたいものと、願望する子どもだった。じつは「仕事」はほとんど言訳で、線路内に入って、軌道上を自由に歩いてみたいのが本心だと、自分でも薄うす感づいていた。
 新宿駅周辺で騒乱罪が適用された国際反戦デーの晩には、ある時刻まで予備校にいなければならなかった受験生の私は、大きく出遅れたかたちで、新宿に通じる路はことごとく機動隊によって封鎖されていたから、高田馬場から新大久保あたりまでは、線路上を歩いた。参加意欲や野次馬根性のほかに、歩道ならぬ道である線路上を行くワクワク感があった。結局そこでも警察官に見つかって、追いかけられ追出されたのだったけれども。

 今でも、踏切を渡るさいには、ゆっくり歩きたい気分がある。味わって、一歩いっぽ丁寧に歩きたい。
 高架化だの地下道開通だの立体交差だのと、駅でも道路でも踏切が姿を消しつつある。過密ダイヤの都会にあっては致しかたのない仕儀だし、事故防止の面からも望ましい。その恩恵には私も、想像を絶するほど浴している。さよう承知しながらも、踏切という建造施設には郷愁・愛着を覚える。
 過密ダイヤによって遮断器開かず踏切となり、交通渋滞を引起すというような心配がない地域で、ただただ踏切り脇から通貨列車を映し続けただけの動画が、ユーチューブ上で驚くほどの再生回数を誇っているところを観ると、似たお気持のかたは世に多いと思われる。

 下り電車接近。旗ァ出しといてやれや。運転士が縮みあがるといけねえから。軌道上に異物発見! ドキ~ンとするあの瞬間の気持ァ、口じゃあ云い表せねえからなァ。

 ―― 真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で駈けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。(横光利一『頭ならびに腹』1924年
 「新感覚派」と持てはやされた初期横光の短篇の冒頭である。新登場した画期的高速鉄道の速度や動感や力感を、譬喩やリズムをもフル動員して描き出そうとした、実験精神と工夫横溢の書き出しだった。しかし野心・冒険心に富む表現ほど、時代感覚が移った次の時代には、いち早く腐り、滅びる。今日では「新感覚派とは?」という問いに対する応えの実例として掲げられるだけの、いわば文学史的意味合い以外には価値の失せた文章のごとくに取沙汰されるのが通例となった。

 だがこの通例が形成されてからも、年経て久しい。今虚心に味わってみれば、一周巡ってあんがい面白い文章なのではないかと、私は感じている。これも踏切愛着と同様に、同感の士もきっとおいでのはずだが、(日本近代文学研究という)業界内でのお立場やメンツもあって、勇気を出せずにおられるのだろうか。

 ときに「好きこそものの上手なれ」と教わったもんだが、こりゃあんがい微妙な、ねじくれた真理と思う。
 私は子ども時分から呆れるほど手先が不器用だった。幼稚園に入園したとき、靴の紐が自分で結べなかったのは、私を含めて二人だけだった。小学校に上って、算数だの国語だのの成績が取れるようになってからも、図工はからきしだった。
 では好きになれなかったか? 逆である。クレヨン画も水彩画も大好きだった。眺めるのも描くのもである。竹ひご細工や粘土細工も大好きだった。が、制限時間がきて、周囲の同級生の作品と眺め比べると、私の作品が一番下手くそだった。
 それより星霜六十有余年、巧拙の規矩を脱した微笑ましき老境「下手うま」へと到達できたかというと、その気配は微塵もない。さらに眼と根気と指先感覚との老耄はいや増すばかり。絶望的状況である。

 好きでさえあれば、いつの日か巧くなれる、というのは嘘で、その意味では諺はインチキである。が、巧拙の問題を、金に換算できるか否かという表層次元なんぞ突き抜けて、人生の自己満足能力という次元にまで掘下げて考えてみれば、なにごとも無償の判断としての好き嫌いでしかありえないと、思えてもくる。好きなんだから、いいじゃないか、大きなお世話だ、放っといてくれ、の精神である。
 そこで前半生にわたって、栄達にも殊勲にも縁なく、蓄財にも揚名にも失敗した男としては、諺のねじくれた真理に今さらのように気づくのである。そして幼少期に憧れを抱きながら、年月をかけてもいまだ達成できずにいるさまざまな夢に、想い当らざるをえない。

 お~ィ、今度は上りだァ。退避ィ。道具飛出してねえかァ。裾を引っかけられるなよォ。深呼吸いいかァ、ちょいの間、大きな息できねえぞォ。せ~のォ。

 子ども時分から比べると、プラットホーム下の構造はずいぶん変った。狭くなったが、合理的になった。どこも均一で、マニュアルどおりに身をひそめさえすれば、安全性は高くなってきていると思える。一度でいいから、あそこへ入ってみたいと思い続けてきた。これも六十有余年、達成できてない。
 車輪や台車の鋼鉄部分は、えらい熱を帯びているのだろう。ことにエンジン部分に近ければなおさらだ。むろん彼らは承知のはずで、何両目のどのあたりは避けるといったようなことは、計算済みにちがいない。
 車輛が接近して、ブレーキが掛かり顔面近くで重おもしく軋る摩擦音が鳴り、停車する。なにせこの陽気だ。うっかり触れたら火傷するかもしれず、それに油臭さに息もできぬほどかもしれない。

 わが下りホームにも電車は来た。やり過して眺めると、なにごともなかったかのように、彼らは作業再開している。下りの急行や特急なども通過していった。今度は上りだ。まるで訓練されたマスゲームの選手たちのように、彼らは正確に身を隠す。なん度でもだ。
 私はこれから、江古田「珈琲館」にて、人と面談せねばならぬのである。お待たせしているのである。遅刻である。