一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

鳥たちの廃屋



 イケネッ、体力落ちていやがる。

 なにも明けがた就寝したいわけじゃない。あまりに寒いから、毛布かぶって寝ちまおう、となるわけだ。小型温風器では間に合わない。電気ストーブだと、太ももや腹ばかり熱くなって、背中が寒くてたまらない。ストーブの前で、脚を組んだままうたた寝して、右の脛と膝小僧を低温火傷しちまったこともある。
 ところが寝そびれる朝が増えてきた。膝掛けが功を奏して、寒い盛りを通過してしまうのだ。寒が弛んできたのだろう。

 六時半は NHK でラジオ体操だ。椅子から立ちあがって、台所で独り。まずラジオ体操の唄。「♪ あた~らしい朝が来た、希望の朝……」あとが唄えない。忘れた。
 なにもここまで健康的でなくてもと鼻白むほど、いたずらに明朗な先生の声で、ラジオ体操第一。どういう体操だったか、子ども時分の習慣とは偉いもんで、半分ほどは憶えている。が、速度についてゆけない。それに頭で想像するポーズの半分も、曲らないし伸びないし回らない。最後の深呼吸で、ホッとする。

 「両手を腰に、首の運動ォ~」タオルを巻きっぱなしで、ムチウチ治療のようにしていた首から、二本のタオルをはずす。これも先生の掛け声からは遅れがちだが、なんとかやり遂げる。
 「ラジオ体操第二ィ~」はて、どういうんだったか、思い出せない。「腕を大きく振ってェ、片足上げるゥ~」えっ、えっ、どういうこと?
 ま、とにかく踵を上げ下げして、アキレス腱とふくら脛とを伸ばしたり弛めたりすりゃいいんだろう。「斜め前にかがんで、大きく後ろへェ~」さっぱり判らない。またもや、最後の深呼吸でホッとした。

 深刻な事態である。六時五十分、下駄箱からウォーキング専用にしていたスニーカーを、久びさに取出す。こんな気分になるのも、寒が弛んだからだな。
 三年前までは、四キロコースと六キロコースを決めてあって、気分と体調とで使い分けていた。両方合せて十キロを歩いた日もあった。憎きは疫病! いや、疫病を云いわけに、自分を怠けさせたのだ。
 四キロコースを約四十六分から五十分かけて歩いたのだが、今朝はきっとどこかで嫌になると、想像がつく。まずは足馴らし、と自分を納得させて、近所を一時間ぶらぶらする。

 季節を報せてくれるご近所の庭木については、おおむね把握しているつもりだけれども、梅だけは程好い樹が見つからない。金剛院さまのシダレウメはほころんだかもしれないが、今朝はそっち方向へ歩く気がしない。梅に続く辛夷も白木蓮も、まだ尚早といったところか。
 とりあえずはフラワー公園の花壇をチェック。ま、これは花じゃないけど、この時期の彩りとしては、やむをえんなぁ。隅にはほんの少々、真黄色の菜の花数株。ここで咲いたもんじゃない。暖地で育てて、移植したものだ。

 どういうもんだか、落葉し尽したケヤキの姿が好きだ。園芸用語で「冬枯れ」と称ぶが、むろん枯れているわけじゃない。ただしさように称んだ先人の気持には共感できる。
 梅も桜も、その他ほとんどの樹木が、寒気はり詰めたなかでも氷風吹きすさぶなかでも、やがてこれが花芽になりますよ、こっちは葉芽ですよという微小な突起を用意する。けな気なもんで、それにはそれで感じ入るのだが、ケヤキだけは違う。このまま永久に眠ってしまうのではないか、もしや枯れてしまったのではないかと疑いたくなるほど、完璧な沈黙の行に入る。その姿が凄い。偉い。厳しく気高い。

 しかもケヤキは、枝先がかならず二股に分岐する。不定形に車枝を出すことはないし、わずかな条件から法則外に曲ることもない。分枝点はかならず三角形となる。
 そこへ鳥たちが巣を掛ける。分岐した枝のそれぞれがどちらへ伸びて、さらにどう分枝してゆき、ゆくゆくはいかなる葉混みになるか、事情に明るい鳥たちには手に取るように明瞭なのだろう。
 だが巣は当年ものと限られる。葉は見事に散り尽す。冬枯れのケヤキには、鳥たちの廃屋が残される。