一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

栄誉ある

 諸君は、あらゆる軍事行動のうちもっとも困難なる作戦とされる撤退戦の、栄誉ある殿(しんがり)隊の精鋭諸君である。

 つい一昨日までは、諸君に続く多くの新兵や中古参兵を従えて、太陽に向って進軍していたのである。近隣住民から広く知られ、去りし花時期にあっては、道往く人びとから仰望される存在ですらあったのである。
 しかしながら諸般の事情により、一時撤退作戦のやむなきに至った。諸般の事情とは、ひとつ。車輛にて西側面方向より接近する通行者に対して、東側面方向に立つ交通信号機への眺望を拓かなければならない。
 ひとつ。やがて来る秋冬ともなれば、任務を了えた圧倒的な量の兵員諸君が枯葉枯枝となって、敷地内のみならず往来へと降るがごとくに散り注ぐは必定である。吹き来る風に運ばれ、思いのほか遠方のお宅にまで達して、お玄関先を汚す懸念もなしとしない。あらかじめ今、隊を縮小しておくことにより、枯葉枯枝の目覚しき少量化がなしとげられる。
 ひとつ。本部隊自身が十分なる老樹にて、今さら伸長を期する局面にはあらず。むしろ巨体を維持するための負担を軽減しなければならない。
 以上の諸事情から本年もまた、諸君にも長年馴染みある、かの老練なる植木職の親方にお出ましを懇請し、本作戦の断行に至った次第である。古賢の言に「桜伐る馬鹿」と伝えられるが、伐りよう伐りどきについては、万端承知の親方である。諸君にあってはよろしく、おのおのが使命役割に応じて、粛々と行動されむことを。

 なおひとつ、ここに申し添えたき事項これあり。当該箇所は、早晩東京都から召し上げられる宿命にある、道路拡幅予定地である。名目は防災耐震、首都強化再開発とのよし。古来一方通行路なりし眼前道路を双方向路となし、緊急車輛の往来容易ならしめるとのこと。道路と拙宅敷地との境界より八メートル内側までを、お上に差出せとのお達しである。
 昭和三十三年に建設されし木造家屋はかねてより老朽化甚だしく、全解体は避けられない。加えてこの家の住人も、老齢化により近年耄碌ただごとならず、ゆくゆくはこの地の処遇いかなる仕儀とあいなるやら、先行きおぼつかない。今さら全隊を伸長させるよりは、負担軽減の撤退戦を基本作戦に据えるほかない状況である。

 わが桜隊および隣接する花梨と万両の各隊将兵諸君におかれては、確実に訪れる栄誉ある最期にさいして、どうか後世に恥じなきよう堂々と身を処されむことを。及ばずながら管理人も、向後に憂いなきよう最善を尽す所存である。以上。