一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

影の魔力



 予想したとおりだ。親方に入ってもらって、枝を払っていただいてからいく日も経つので、裏木戸を抜けて狭苦しい場所へ入ってみた。樹木たちの根かた一帯には雑草が芽吹いてくる気配も見えない。

 助手の若い衆と二人して入ってくださった。若い衆は梯子を据えたり道具を整えたりして、親方が樹上の作業にかかられてからは、親方が落してくる枝葉を掃き集めたり袋詰めしたりなさるのがおもな仕事だ。が、合間を看ながら、地上の草引きをしてくださった。私が春に一度粗っぽく草むしりしたきりだから、雑草類もだいぶ復活してきていた。これはこれで、ひと仕事だ。
 玄人さんの草引きは、素人の草むしりとはわけが違う。すぐさま再生してくる根っこなど残さない。それでいて力任せに引っこ抜いたような、表土が引っくり返ったり穴が生じてデコボコになったりした箇所などない。綺麗なもんである。どうしていらっしゃるのだろうか。ちょいとしたコツがあるんだろうが、私には見当がつかない。真似ができない。

 午前の陽によるブロック塀の影に、明暗くっきりと二分された狭い場所を眺めながら、門柱あたりでぼんやりしていた。
 「長らくお見えになりませんね。お元気そうで結構じゃありませんか」
 わがホームドクターとして長年信頼申しあげている衛藤先生が、自転車を曳いて通りかかられた。
 「怠けてまして済みません。さほど元気でもなくて、じつは先生に診ていただきたい件が、三つも四つも溜ってるんです。近ぢか是非一度」
 「区の定期検診表も溜っておいででしょう。八月にでも、上から下まで全部チェックいたしましょうか」
 往診の途上だとのことで長噺もできず、遠からぬ通院をお約束してお見送りした。


 ドクターをお見送りしながら、足もとのコンクリート面に落ちる桜樹の影に気を取られていた。親方にさっぱりさせていただいたおかげで、こんな影が落ちるようになったのだ。が、想ったのはそれだけではない。
 影なんてもんは、ふだん考えてみることもないが、不思議なもんだ。実在物でもないのに、こんなにくっきり見える。風につれて生き活きと動く。周囲の草木より実在感があるほどだ。思い出した。心惹かれる影の魔力に初めて気づかされたのは、あの展覧会だった。

 十五歳か十六歳だった。現在は映画関係専門の美術館となっている京橋のフィルムセンターが、当時国立近代美術館だった。皇居お濠端の竹橋に巨きな国立近代美術館が建てられる前の噺である。
 京橋近美では、美術の企画展示が催されたが、階上の試写室では貴重な往年の名作映画上映会も常時催されていた。ジュリアン・デュビビエ月間とか木下恵介月間というような月替り企画で、たしか同じ演し物が二日間上映されたのではなかったろうか。毎日のように姿を現す定連が多かった。うろ憶えだからあえてお名を伏せるが、後年有名監督となられた○○さんや△△さんのお顔も、たしかあったように思う。当方もそのかたがたも、お互い高校生か大学生だったわけだ。

 入口から最上階の試写室へと上るまでのフロアでの美術展も、刺激的だった。アメリカ現代美術展もあった。ジャクソン・ポロックジャスパー・ジョーンズや、ロバート・ラウシェンバークやロイ・リクテンシュタインの大画面が、各人それぞれなん点も並んだ。アクション・ペインティングやポップアートの実物を、産れて初めてこの眼に観たのだった。
 その時の強烈な体験があったおかげで、以来今日まで、モダンアートの大作が五点十点ていど並んだところで、度肝を抜かれたり圧倒されたりしたことはない。

 あるとき美術フロアの企画展として、新進気鋭の前衛写真家たちの作品展が催された。私が名前を知る写真家など、一人もなかった。あたりまえだ。名前を知る写真家といえば、木村伊兵衛土門拳と、秋山庄太郎大竹省二だけという高校生だったのだ。
 プログラム解説によれば、篠山紀信という最年少出品者は、まだ二十四歳だという。表面がヌメラリ~ッとした感じの女性ヌードが並んでいた。少し年長の立木義浩という人も、とても将来有望なのだという。お洒落で綺麗な写真だとその時は好感を抱き、お名前を憶えたが、さて被写体がなんだったのか、今はまったく記憶にない。
 少し先輩の東松照明、佐藤明といった人たちは、前衛的な感性がすでに海外でも評価され始めているとの解説だった。なるほど前衛的だと感じた。スナップ写真だの記念写真だのからははるかに遠い。というか縁もゆかりもない、たしかにひとつの造形物だった。

 佐藤明という写真家には、ちょいと応援したい気が湧いた。寺院か城か大富豪の館ででもあろうか、ヨーロッパかどこかの建造物ばかりを、不思議な角度から撮った写真群だった。人影はまったくない。動植物もない。もの柔らかに呼吸する生命の気配は皆無だ。石とコンクリートによる直線と曲線とアーチ型の組合せである。そこにカーッと強烈な陽光が降り注いでいる。石やコンクリートの面が、陽光を反射して発光体のごとくに輝いていたり、物陰に沈んで怖ろしいほど無愛想な影となったりしている。
 時が停まったように静かだ。それでいて、なにかしら不思議にエロチックな印象も掻き立てられる。
 時あたかも、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画に熱を揚げて「人を拒絶する虚無のエロス」なんぞと考えていた高校生だった。かような風景のなかを、両足のサンダルを片手に提げて、裸足で歩いてゆくモニカ・ヴィッティを空想することなど容易だったのだ。

 影とはなんぞや。とりもなおさず、科学的にまた常識的に理解し定義しうる「影」なんぞより遥かに深く複雑で、ときに怖ろしくも神秘的でもある意味合いを「影」に感じてきた、人間とは何者かということだ。
 そんなことを真剣に考えるようになったのは、三十歳をとっくに過ぎてからだ。京橋近美の写真展からは二十年近くが経っていた。そのときにも同じ写真展を想い出したものだった。篠山紀信さんも立木義浩さんもとうに新鋭なんぞではなく、人気写真家どころか、すでに大家でいらっしゃった。

 今では怖ろしいとも神秘的とも感じない。胸高鳴りもしない。親方の草引きはすごいもんだなあと感心し、衛藤先生はこの陽射しのもとを自転車で往診とは、なんともご苦労さまでございますと敬服するだけだ。真上から陽光が降り注ぐ時間帯に起きている俺も珍しいわいと微笑ましい。俺んちにだって、影くらい出るわい、というほどの気分だ。