一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ありがたい



 ズズズズッ、プルプルプルプルッ、擦れ合うような音に眼が醒めた。ここ数年姿を消していたネズミどもが、久しぶりにやって来たのかと、咄嗟に不吉な想いが湧いた。眼覚しは設定時刻の三十分前だ。起床することはかまわない。

 ガラス窓とカーテンとの間で、雀が一羽、羽ばたきもがいていた。窓は細めに開けて寝た。網戸はあちこち破れたまま修理してない。使わなくなったエアコンダクトの穴が、塞がれぬままになっている。侵入しようとすれば容易だが、まさか好んで入り込んでも来るまいと、放置してあったのだ。
 起きて歩み寄ると、雀は危急を感じたかいっそう暴れる。うろたえて、逃げる方向を視失っているようだ。よしよし。アルミサッシの窓枠をスライドさせて、解き放った。一瞬にして見えなくなった。
 昨日の早朝、電線に一羽だけとまって啼いていた若い雀に、口笛を吹いて話しかけてみたが、あいつが訪ねてきたのだろうか。まさかね。「まんが日本昔ばなし」でもあるまいし。おかしいような、ありがたいような感じが残った。

 豊島区長さんから通知はがきが届いた。担当部署は保健福祉部 自立促進担当課というらしい。「電力・ガス・食料品等価格高騰支援給付金」というお金を、下さるという。その「支給決定通知書」というはがきで、私の口座に金三万円を振込んだから、よろしく確認いたしおくべしとのお達しである。領収証の要らない金らしいから、代りにここへ書きおこう。

 たしか昨年十一月には、「金融支援給付金」として金五万円をいただいた。さらにその前の三月だったか「臨時特別給付金」として金十万円をいただいた。額面はだんだん下ってきた。
 私ごときよりも切羽詰ったおかたは世に数え切れぬほどおいでだろうに、よろしいのだろうか。しかし正直申せばおおいにありがたい。社会との直接接触などほとんどなくなり、きわめてエンゲル係数の高い暮しをしているから、ご下賜金はすべからく食費および煙草銭に消えてきた。今回もさようとなろう。

 会社員だったころ、年末調整でほとんど済むところを、馬鹿正直に確定申告をしていた。副業なんてもんじゃない、雀の涙ほどの埋草記事や雑文原稿料なんぞも、並べ挙げて申告していたのだった。
 勤め先といったところで、自身も経営の一画に携わる画に描いたような零細会社だったから、給料は眼を疑うほど安かったし、それも帳面の都合で受取ったり受取らなかったりした。
 申告すると、天引きされた税金の全額が戻ってきてしまった。むろん消費税その他、自動的に支払っている税金はあるにしても、こと所得税に関しては、払いたくても払わせてもらえぬ身の上だったわけだ。
 会社員を退いて、非常勤教員やフリーランス(寄る辺なき)雑収入の時代に入っても、いく年かは確定申告し続けたが、やがて辞めてしまった。所得も税額も、控除も差引きもあまりに少額に過ぎて、馬鹿ばかしくなってしまったのだ。申告という制度は、かような者のためにあるのではない、私自身にとっても税務署員さんがたにとっても、無価値な労力であると、思わぬわけにはゆかなかった。

 そんな私を、納税台帳の側から眺めれば、まことに気の毒な低所得老人独居世帯となるだろう。支援事業の支給対象となるわけである。
 いや、ともするとこうだろうか。私は実際に相当「気の毒」な老人なのかもしれない。誰の眼にもさように見えているのかもしれない。にもかかわらず、私に自覚が足りないのかもしれない。だとすればまことに眼障りにして、かつまたはた迷惑な存在だろうに、どなたもさように感じながら、黙っていてくだるにちがいない。これは考えものである。
 はがきは区役所の「自立促進担当課」から来た。このありがたい三万円を元手に、私は自立してゆかねばならない。とりあえずは、食糧を補充する。


 時ならぬ雀の来訪に起されて、時間に余裕があるから、しっかり食事をと思い立ってはみたものの、階上の台所はすでに気温上昇。粥飯を炊く気にはなれず、今日も素麺を茹でる。いただきものがたっぷりある。ありがたい。
 冷蔵庫を開ければ、保存食・箸休め・香の物ほか、いただきものや、それに少々手を加えただけの副菜類には事欠かない。ありがたい。