一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

たかが知れた

 出掛けようとしたやさきに、猛然たる雷雨。草も木も、石までもが嬉しそうだ。だから云わぬこっちゃない。私がホースで水撒きなんぞしたところで、たかが知れている。だれも悦びゃしない。天然の水がよろしいに決ってる。

 八月九日本番となる「夏季文章講座」なるお喋りの目次書きを、主催者である『江古田文学』編集室へ届ける。いったん池袋へ出て、江古田へと折返す心づもりで家を出た。久びさの訪問だから、若き編集部員やご婦人事務員さんがたに、手土産のお茶菓子くらいはと思ったのだ。
 「東久留米駅での人身事故、ならびに椎名町東長崎駅間での信号不具合により、ダイヤが大幅に乱れておりま~す」
 急な落雷か豪雨かに定心を喪って、ホームから軌道上へと落花した乗客でもあったのだろうか。またトランスか送電設備かに落雷でもあって、一時的停電にでも陥ったのだろうか。
 「次に当駅着の電車は、ただ今、大泉学園駅に到着いたしました~」
 冗談じゃない。そんなに待ってはいられない。さいわい下り方面電車は、ノロノロ運転ながらやって来るらしい。池袋経由は即刻断念。跨線橋型の構内を渡って、対岸のホームへと移動した。

 お約束時間を大きくは違えずに、編集部を訪問できた。およそ一週間後の催しでは、大切なお役目を拝命しているが、例により私は、台本もノートも用意しない。目次項目もしくは粗筋だけをお示しする。細部は出たとこ勝負である。今さらいかに取りつくろい着飾ったところで、たかが知れている。実力以上のお喋りができるはずはない。
 昔からご本人言いわけでも解説者コメントでも、「実力を十分には発揮できなかった」という台詞がある。発揮すべき実力がなかったとは、思い至らないのだろうか。かねがね不思議に思ってきた。
 古い知識に凝り固まった老人が、包み隠さずありったけを喋る。それを面白がったり馬鹿にしたり、ときには憐れんだりもしながら、若者たちが取捨選択する。それだけのことだろうに。

 プリントアウトしたものを若き編集部員に手渡し、簡単な打合せをふた言三言済ませれば、用件なんぞは五分で了った。いちおう学生ラウンジへと眼を走らせる。あちらこちらに数人で談笑するグループがあるものの、知った顔はない。定年退職して二年半も経てば、現役学生にとっては「どっかのジジイ」である。
 さて切上げようとしてエレベーターホールへ戻ると、やって来るワゴンを待つ間に眼を止めざるをえぬ場所に、告知ポスターが貼ってある。ありがたいとも照れくさいとも感じない。このポスターで催しの存在を知ったところで、退役ジジイからなにかを得ようなどと思い立つ若者などめったにないと、肚の底から承知している。

 夏休みの暑い盛りに、いかに冷房完備の屋内とはいえ、スターでも有名でもない年寄りのお喋りをわざわざ聴きに集る学生・院生がそうそうあるとは思えない。たまにはジジイのツラでも拝みに出向こうかと気紛れを起す OB 連中ならないでもなかろうが、週日の催しでは、仕事をやりくりするわけにもゆくまい。
 それでも、懐に匕首を呑んだと申そうか、なにやら自分なりに必死の課題をひっさげてやって来る若者が、ほんのひと握りはある。これは、毎回ある。どんな催しにおいてもある。そんなひと握りを相手に、濃密な空間のなかで、なにかの秘事を授けるかのごとくに、持帰れる土産噺を用意しなければならない。むろん、用意する。

 わが町へ戻る。さて来週は闘いだ。お不動さまにお詣りする。
 隣の神社の境内は、内にも外にも水分をたっぷり補給した樹木たちが、艶と勢いを増して息が詰るようだ。雷雨が上ればいよいよ我らの時代到来とばかりに、大音量による蝉たちの大合唱。アブラ蝉九にミンミン蝉一ほどの内訳だ。
 大鳥居をくぐってみたが、境内はいたるところ蚊の大群で、飛んで火に入る老人一匹状態。溜らず中鳥居はくぐらずに、尻尾を巻いて引返してきた。
 なにを云いやがる。時流におもねらず、環境変化にも一喜一憂せずに、己をさらけ出し続けているのは俺ばかり。口をへの字に結んだまま独り不機嫌そうに、もはや枝葉も乏しい樹肌を見せているのは老赤松である。