一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

手抜き迎春

 
 どうしてくれようか。あれもこれも、間に合わない……。

 昨日、冷蔵庫が満杯となった。わが買出し食品と、かさみやさんからご送付いただいた予約食品とが揃った。年越し近しの気分が湧いた。気分だけだ。食糧以外の年越し準備は、なにひとつ片づいちゃいない。
 野尻組の若い衆が声を掛けに寄ってくれた。例年どおりでよろしいですかと。もちろんだ。小一時間後に、一式が届けられた。門口左右の松枝、玄関用の玉飾り、神棚用の注連縄(通称大根締め)、玄関以外の戸口や水回りや換気口や鬼門を守ってもらう裏白の輪飾り十本の一式だ。

 「これはお勘定のほか。頭に一杯やっていただかんと」
 かねて用意の一升瓶を、抱いて帰ってもらう。銘柄は剣菱と、昔は決っていたもんだが、いつの頃からか風習は崩れた。だいいち店頭に剣菱を置かぬ酒屋まで出現する時代だ。嘆かわしい。地酒ブームですっかり名を挙げた地方の銘酒で代行した時期があり、純米だの大吟醸だのといった材料・製法を謳い文句にした酒で代行するようにもなった。
 私自身が贔屓の、福島県は郡山にある蔵元の酒も、つねに酒屋に揃っているとは限らない。取寄せ注文すればよろしいのだろうが、さような手間をかけるのは生意気でわざとらしい。野暮だ。加えて、あまりに特徴のはっきりした酒だから、頭のお口に合うかどうかも判らない。お好みは伺ってないのだ。別の銘柄だが、これなら絶対歓んでいただける酒が、今年は手に入った。内心ニンマリしたい気もないではない。
 近所でちょいと札付きだった暴れん坊も、往来で擦違ったり祭礼のさいにお視かけしたりすると、髪はすっかり白くなられ、お齢を召された。軽く会釈し合うていどだが、向うもこちらを視て、野郎危なっかしくなりやがってと、思っておられるかもしれない。

 細かいことは明日に回すとして、松と玉だけは付けてしまう。かような老人ひとり世帯にあって、なんのため誰のために、正月飾りをするのであるか。考え始めると、答の出ぬ問題にはまり込んでしまう。だから考えるのはあと廻しにする。

 ところで、新宿の「風花」さんが明三十日で閉店なさるという。文壇バーと称ばれた老舗酒場の一軒だ。とびっきり酒癖が悪かった恩師の鞄持ち兼護衛として、さらには周囲のお客さまがたに謝る係としてお供してから、四十年あまり経ったわけだ。近年はとんとご無沙汰続きだ。不都合があったわけではない。新宿へ足を向ける回数が年に数回しかなくなってしまったのだ。
 したがってゴールデン街も同様だ。かつて十軒以上あったわが立寄り所も、消えるか代替わりするか、経営者が他界するかして、年に数回の新宿歩きのさいに立寄れる酒場はと申せば、今では二軒半となってしまった。
 さて「風花」閉店の情報は SNS 上でも飛び交っているし、ママさんからメールもいただいてある。お別れの催しやら忘年会やらが次つぎと企画されて、さぞや連日満席の賑わいとなっていることだろう。今さら私ごときが、の想いが強い。が、お付合いの長さ・濃さから申せば、頬っかぶりもならぬところだ。さて、いかがしたもんか?

 家の大掃除なんぞは始めから諦めてある。が、窓拭きや電球・蛍光灯の交換くらいは、やってしまいたい箇所が多い。年賀状も、今朝ようやく半分ほどを投函できたに過ぎない。それやこれや、あれやどれや……。
 郵便受けに、薄紫色というか小豆色というかサラシ餡色というか、類例を視ない気味悪い色合いの封筒が、入っていた。差出人は豊島区の保健福祉部 自立促進担当課とある。開封してみると、「物価高騰対策給付金 支給予定通知書」および「臨時給付金のご案内」なる二枚ひと組の書状だ。住民税の課税対象にすらならぬ貧困世帯には、一律七万円をくださるのだという。
 くださるとおっしゃるなら、もちろんありがたく頂戴するけれども。ナンダカナァ。そういう問題じゃねえ気がすんだよなあ。