一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

役目

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 『江古田文学』109号が届いた。ということは、数日のちには書店配本されるのだろう。今号特集は「創作の「いま」を見つめる」。また大きく出た、意欲的特集だ。

 一九九〇年代から二〇〇〇年あたり生れの若い書き手たちによる、小説や詩や評論がみっしり掲載され、対談形式の発言もある。四六〇ページを超える大冊で、持ち重りのする文芸雑誌となっている。特集表示はホラではなく、これから羽ばたこうとする若い才能にご興味おありの向きには、ご堪能いたゞけよう。

 対談形式の発言とは、同誌前号で発表された、江古田文学賞受賞者である若い書き手二人が、それぞれ選考委員相手に対談するという企画だ。委員中ではもっともお若い編集長と片方の受賞者とが、委員中最年長である正体不明の老人ともう片方の受賞者とが対談する。噛み合えば面白く、すれ違えばまたそこからも何がしかが見えてこよう、との企画である。
 山本貫太さんという、卒業後数年になるライター稼業の若者と、年齢差四十七歳の対談となった。

 山本さんは在学中から達者な書き手として、仲間うちでの評価高かった男で、前年前々年の江古田文学賞選考においても、佳作に推されている。両年とも受賞作ナシの結果での佳作だから、つまりは他作品に後れをとったことは一度もない。
 選考は、作者名はもちろん年齢・経歴その他の情報いっさいを伏せられて、作品のみを裸で読合せるから、三年連続で予選から本選考へ上ってくるだけでも、たいした筆力である。二年連続佳作受賞のあげくに、三年目で本賞受賞というのは、おそらく前例あるまい。
 対談といっても、むろん先方が主役、私は聴き手だ。しょせん私なんぞに理解できようはずもない現代の空気を、少しでも教わろうかと、私なりに愉しみに本番に臨んだ。

 一風変った作風の書き手から、核となるアイデアの胚胎経緯を聴かせてもらおうと、あれこれ質問を工夫して、ある程度はうまくいった。私なんぞがまったく知らぬ海外の作家や映画などが紹介されて、まことに興味尽きなかったが、それこれの話題の果てに、「とゞのつまり一番興味を惹かれたのは、埴谷雄高『死霊』ですね」と出られて、少々慌てた。
 おいおい、そこかよ。そこんとこを俺とやると、長くなるぜ。こんな短い対談じゃあ収まらねぇや。
 なーるほど、さようですか、と短く切上げさせてもらった。

 若者からものを教わるのは、愉しい。せいぜい私のほうからお伝えできることといったら、二点ほどしかない。一点は、ジャンルによらず文学の要諦は、心は高く眼は低く。これはかなり普遍的だ。
 山本さんは芸術小説もミステリー・SFといった娯楽小説も、官能小説まで書き分ける書き手だが、その仕分け・線引きは? という話題を振ったところ、アイデア胚胎に区別はないとのご返事。アイデアを膨らませてゆく過程で、ジャンルが分れてゆくらしい。芸術造形の手際の問題としてよく解る。が、そこは多岐流で、
 「ネギと白滝があるから、とりあえず下味を付けてゆく。肉じゃがになるかすき焼きになるかは、あとから決ってくるってわけだ」と、コメントしておいた。

 また、ジャンル不明の独自作品が理想で、自分の名前がジャンルになるのが夢だとの、高い志が述べられたので、
 「昔ね、ロックにフォークに、ポップスに演歌に、そしてピンクレディーがあるって云われたもんですよ」と、コメントしておいた。
 大真面目な文芸雑誌でかような台詞を吐くのは、私くらいかもしれない。後日編集長から叱られるのではないかしらん。
 が、「眼は低く」を忘れて創作はありえない。文学に限らず。

 お若い書き手へ、せいぜいの申し送りの、もう一点。「はじめに言葉ありき」(ヨハネ福音書)は伊達ではない。方便でも修辞でもない。むろん『古事記』にだって似た表現はある、という問題。
 人間が言葉を発明し、伝達し、思索し、表現できるようになった、などと錯覚している書き手が多い。逆である。ホモ・ナンチャラに過ぎなかった生物が、言葉によって人間になれた、というのがもっともな順序だ。

 未来の作家諸君が、『萬葉集』『古今集』をお読みになるかならぬかが問題ではない。まったくそんな問題ではない。それらがなければ、文学が成立しないという問題なのだ。わが肉体を、わが精神を、掘って掘って掘り抜いてゆくと、言葉の泉に到達するという問題である。また、文学する生きかたの背骨は、意識するとせざるとに関わらず国語の伝統によって支えられている、という問題でもある。
 今はまだ、ご賛同いたゞけなくて結構。というより、残念ながらこの感覚は、お若いうちには無理である。だが老人の役目として、申すだけは申しておかねばならない。

 ともあれこれで、『江古田文学』における私の役目は、すべて了った。
 ――かようにして、トロイの詩人は死んだ。あとはギリシアの詩人たちが、語ってくれるであろう。
ジャン・ジロドゥ『トロイ戦争は起らない』)