一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

気の持ちよう


 自分への慰労。「うなぎまぶし飯」サミットストア謹製 490円(税抜き)。

 着物は整えて枕元に置いて寝るように、持物は点検して机に並べておくように、履物は出して玄関に揃えておくように。遠足の前日は、母から口うるさく念押しされたものだ。とりたてて反抗したり云いつけに背いて大失態をやらかしたりした記憶も残っていないところをみると、おおむね従っていたのだろう。なん歳ころからだろうか、ずぼらな性格にかまけて、基本に背くようになったのは。
 あれを着て出るかとなんとなく思い浮べていたシャツが、箪笥のどこをひっくり返しても出てこない。しかたなく洋服箪笥に吊りさがっている洗濯済みから一枚を抜出す。次善の選択だ。だれに観られるでもない老人の外出だ。どうでもいいじゃないか。とは思ってみるものの、出がけから小さな敗北感である。
 東方の空が嫌な色をしている。が、たかを括って雨具を持たずに出た。

 朝食の炊事をすると時間が足りなくなりそうなので、珈琲館へ直行した。モーニングサービスのセットを目指す。
 なんら特別でない週のまん中、出勤途中の朝食を目当ての客が去ってしまえば、昼食時までの谷間時間である。途切れ目なくいつも繁盛している珈琲館であっても、ガラ空きになる時間帯があったのか。初めて知った。
 表は土砂降りになった。が、短時間で上るはず。根拠のない当てずっぽうだ。今からおよそ一時間半、今日のネタをさらっておくつもりだ。その間にはなんとか……。
 ものの三十分のにわか雨で、空は晴れあがった。会場へと出勤するころには、降り出す前よりもむしろ爽快な空気だ。軽い達成感である。

 受付開始時刻を待ちかねたように、ご熱心なお客さまご入場だ。ありがたい。これが今日の仕事場であるか。会場を確認してから楽屋入り。ふだんは講師控室と称ばれている部屋だ。
 主催者の編集部員から注意事項を伺い、簡単な打合せ。開始予定時刻十分前に着席する。われらには寄席のごとき前座さんもなければ、公開収録のごとき AD 前説もない。
 「携帯電話の電源をお切りください。避難経路は……」すべて自前である。来場者の顔触れを、それとなく改める。
 「収録は本日八月九日、長崎から参りました多岐でございます。すぐお近くの豊島区長崎です」馬鹿なこと申している間に、主催者は音声や映像の程度をチェックしてくださってることだろう。

 さて定刻。主催者編集部員によるゴング(ではない開始のご挨拶)。始まってしまえば当方の勝手だ。ふいにあれを思い出しこれを度忘れし、あっちへ跳びこっちへ戻りで、時間超過は二十分。前説十分を含めると、九十分のお約束が丸二時間の大サービス(いや大迷惑)。しかし前途有望の若者たちにとっては、かようなジジイの低調文学論を聴くのも経験のうちか。もとよりなんの役にも立たぬ無駄噺だとは、初めにことわってある。
 ようやくお開き。なおも去りがての若者ら六人とともに珈琲館へと戻る。第二楽屋みたいなもんだ。フリートークの間に、外にはまたも夕立が来た。
 なろうことなら私抜きで、若者たち同士の交友を育んでいただきたいところだが、どうしても私とどなたかの放射状トークが多くなってしまう。これではならじと、たびたび喫煙室への中座を心掛けた。遠望すると、なんのことはない、私さえいなければ、若者同士の会話はけっこう弾んでいる。つまり私だけが邪魔なのだ。教訓――きっかけとして年寄りは役に立つ。が、会話には邪魔だ。およそ三時間ほど駄弁るうちに、当然ながら夕立は去った。

 ひと仕事了えたらいずれかに立寄って一献というのは、過ぎし日のこと。さっさとわが町へと舞い戻る。
 仕事の出来なんぞ、佳かったはずがない。けれど気の持ちようである。日に二度のにわか雨に遭い、二度とも珈琲館にてやり過した。一滴たりとも降られてはいない。軽い達成感である。土用の丑も無縁にやり過した身だ。今日こそ自分への慰労だ。で、サミットストアに寄り、「うなぎまぶし飯」を買ったわけだ。