一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

寒蘭


 ふと話題が途切れたときの酒場カウンタートーク。いわゆる「アッ、今天使が通っていった」とき、お気に入りの花は? といった話題になることがある。いい齢して「野菊の墓」チック~ゥ、なんぞと自嘲しながらも、これがけっこう盛上ることもある。

 面倒な説明の必要やゲーム的な論争に巻込まれるのを怖れて、「睡蓮」と応えることにしている。脇からのツッコミを免れる。じつは睡蓮は二番目に好きな花で、一番は寒蘭である。東洋蘭の一分野だ。専門的な品種分類もあるのだろうが、門外漢はたんに生息地および培養地で分類記憶している。日向寒蘭・土佐寒蘭・阿波寒蘭・紀州寒蘭というように。園芸雑誌がさように分類して、見事な写真付きで特集してくれるから、従っているまでのことだ。

 東洋蘭同士にあってお隣の春蘭は、可憐で慎ましやかで、無口で香り佳い。今から旅に発とうとする無垢な少女のごとくに好感をもたれる。そこへゆくと同じく無口で香り高くとも、寒蘭は可憐というのとは少々異なり、凛とした気品に貫かれ、ややお澄ましで人を寄せつけぬところがある。姿は鋭く細身にしていくぶん神経質で、余計な愛想を振りまいたりはしない。妥協を嫌う孤独な勁さを秘めているようだ。
 道端に咲いていても、知らぬ人であれば視過ごすかもしれない。寒蘭専門の品評会・展示会の会場は、ほかの植物展の会場よりも室温が低く感じられる。

 もはや鉢仕立てにて培養せねばならぬものは身近に置けない。もっとも気を使わぬサツキであってもご免だ。自分自身をさえ満足に管理できぬものが、身のほど知らずというものである。

『牧野新日本植物圖鑑』(北隆館、1961)定価 5,500円
『原色牧野植物大圖鑑』(北隆館、1982)定価 35,000円

 山採りの植物を持ち帰って、身近に鉢植えする気がなければ、珍しい植物を図鑑で調べる機会などなくなる。雑草として近辺に生える草ぐさの名を知りたい程度であれば、定評ある大図鑑である必要はない。なにかの場合が生じぬでもあるまいから、かような図鑑が一家に一冊あれば安心ではないかと、思えた時期もあった。『家庭の医学』同様、使っても使わなくても一家に一冊といった考えかたである。今はそんなふうには考えない。
 開かれもせぬまま書架の隅に長年居続け、だいぶ古色を帯びてきてはいるが、もとはしっかりした仕事だ。広い世の中には、お役立てくださるかたも、もしかしてありはすまいか。さようなかたに巡り逢えれば、書籍も幸せである。古書肆のお世話になる。

『草木花歳時記』全四巻(朝日新聞社、1998~99)定価 各3,800円

 都会の住宅地周辺にあって、ご近所の庭木や公園の植栽や、予想外に生え来る雑草類の名と来歴を知るためだけなら、ハンディタイプの文庫図鑑でも用が足りる。また近世近代の俳人たちが、この草この木この花にいかなる詩情をそそられてきたものかを覗かせていただくには、植物写真ふんだんの歳時記がある。これはもはや山歩きなどできぬ身となった今も、おおいに愉しめる。

 『牧野新日本植物圖鑑』『原色牧野植物大圖鑑』を出す。『草木花歳時記』(全四巻)は残す。園芸雑誌の不揃いバックナムバー類をすべて出す。ただし『ガーデンライフ』バックナムバーのうち、寒蘭特集号の四冊のみは残す。