一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

語り継がれるべき


 語り継がれねばならぬことというものは、やはりあるのだろう。

 リテラシーなんぞという言葉を、学生時代には知らなかった。外国語に堪能なかたは、お使いだったのだろうが、少なくともメディア用語としては、登場していなかった。今では、私ごとき一知半解のヤカラまでが、平気で口にする言葉となっている。ほとんどの外来語と同じく、広く人口に膾炙するにつれて拡大解釈されたり捻じ曲げられたりして、原意の厳密さが擦り減ってきていることだろうけれども。
 みずから一次情報にまで遡って、動かしがたき事実を確かめながら、各人独自に判断ができる、良い時代になったという人がある。本当だろうか。
 検索機能が確保されてあることと、活用していることとは別だ。職業か金かに結びつかぬかぎりは、検索によって情報源へと遡る手間などを面倒臭がる、私と似たり寄ったりのかたがほとんどではないのだろうか。

 誤情報はあまりに多い。政治的意図に則ったプロパガンダ情報もあれば、広告的意図を隠した偽装告知もある。それらに較べれば、数値や固有名詞の誤りなどのたんなる事実誤認はむしろ罪が軽く、微笑ましくさえある。
 もっとも警戒を要するのは、ビジネス目的(再生回数稼ぎ)のゴマ擂り情報だ。受け手の自己肯定欲求をくすぐってくる。イイ気にさせてくれる。「日本はスゴイ」「日本人は世界で最高」式である。部分的には事実に即した情報なり映像なりに依拠しているから、荒唐無稽とまではいえない。が、バランスを欠いている。片面的なキリトリ情報だ。
 これをしも情報エンターテインメントというなら、たしかに娯楽提供の一分野にちがいない。受け手を心地好く、気分好くさせてくれるのであれば、一種の幇間芸であって、収益を得るのも当然だ。太鼓持ちの座持ちに一時の憂さ晴らしをする大旦那となるか、おべんちゃらを真に受けて身をもち崩す馬鹿旦那となるかは、受け手次第ということだろう。
 「良い時代になった」というよりも、われら平民までが試される時代になったということではないのだろうか。

 『昭和戦争文学全集』(集英社)を古書肆に出す。昭和戦争期についていずれの角度から証言したか、いわば着眼別に分類して見出しを立てたアンソロジーだ。著名作者の名篇が手際よく選抜されてある。
 各巻別個に買い募っていったもので、もともと不揃いだった。手持ちから第十一巻『戦時下のハイティーン』のみ残す。小久保均『楽園追放』が収録されてあるからだ。陸軍幼年学校生徒として敗戦の日を迎えた体験を描いた作品で、文学界新人賞の佳作となった。小久保さんの処女作と称んでよい。内容の多くは後年の『折れた八月』(直木賞候補作)に吸上げられた。それかあらぬか、いずれの短篇集にも再録されることがなかった。発表誌をべつにすれば、ここでのみ読みうる作品である。

 辻潤関連の何冊かを出す。辻が信奉したマックス・スティルナー『唯一者とその所有』については、辻潤訳(改造文庫、1924)と片岡啓治訳(上下二巻、現代思潮社刊、1967 - 68)両方とも出す。

 三十歳代の私は、会社員をしながら同人雑誌に作家論を書いていた。原稿を買ってもらう方法も知らなかったし、手蔓もなかった。新人賞に応募する気にもならなかった。
 ふと思った。俺は文学よりも、文学者が好きなのではないか。だから素直に小説修業することなど早ばや放棄して、作家論などを書いているのではなかろうかと。ウラ噺やコボレ噺、いわゆる逸話の類をやや注意して、自覚的に読むようになった。文学史よりも文壇史、というわけである。
 今読み直しても、きっと面白かろう。が、すべてを通読する時間なんぞ残されてないのはむろんだ。いかなる基準で減らしてゆくべきか。

 一代の書評家・エッセイスト・コラムニストとして大活躍した先達のうちから、百目鬼恭三郎巌谷大四とを出す。岡富久子も出す。同じように愉しませていただいた文章家でも、浅見淵十返肇とは残す。
 これは多くのかたがたからご理解いただく必要などない件だが、文士の筆とジャーナリストの筆との、ほんのかすかな相違という問題だ。匂いだの手触りだの、あと味だのと申しておくほかない、まことに微妙な問題である。

 出版編集指南書の類からは、小宮山量平と布川角左衛門の貴重な経験の書を出す。もう役立てられない。外山滋比古の編集論も出す。頭の優秀な人が図形を組立てただけの本だ。
 なんと申してもこの分野の名著となれば、『名著の履歴書』上下二巻組(日本エディタースクール出版部、1971)だ。敗戦直後の昭和二十一年から二十年間あまりに刊行された、文学・芸術から歴史・哲学・科学分野にわたる名著を年代順に採りあげ、当時の担当編集者が刊行経緯や苦労話を綴った回想集である。副題は「80人編集者の回想」と付けられてある。『図書新聞』に丸三年以上連載された記事の集大成だ。
 かつて就活学生から相談を受ける立場だったころ、出版界への進路希望の学生には、まずこれを読めと奨めた。実際に渡した。ためにストックが必要となり、古書肆や古書市で眼に着くたびに買い足してきた。今も二巻組が四セット、書架の隅にある。
 うちの一セットを、今回出す。一挙に出しては、古書肆にご迷惑だろうから。