一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

正統性とは



 今想うに、正統性とは?

 江藤淳の熱心な読者だったことは、一度もなかった。にもかかわらず、宅内に散らばった雑本を掻き集めると、十冊以上が出てきてしまう。これでもまだ、夏目漱石関連は宅内行方不明のままだ。まとめてどこかに潜んでいるのだろう。
 愛読者でもないのに、本が出てくるということは、おりに触れて江藤さんならこの件をどうおっしゃるのだろうという気が、たびたび起きたからだろう。書店店頭にて目次を眺めながら、ちょいと云い分を伺ってみようかという気にも、いく度もなったのだったろう。
 読みえた限りでは、いつも堂々の批評だった。堂々に過ぎて拍子抜けするものもあった。また内容を記憶しないものも多い。衝動買いして帰宅したまま、ツンドクに了ったものもあったのだろう。

 学生時分に登場したと申してもよい、若くして世に出た批評家だった。詩人や小説家には時たまありえても、文芸批評家としては珍しい例だ。その後ややあって、同世代の優秀な批評家たちが次つぎ登場した。磯田光一桶谷秀昭、秋山駿といった人たちだ。外国文学研究の畑から横滑りまたは兼業で、批評文を書く人も多数登場した。さながら批評家百花繚乱の景色でさえあった。
 そうなってからでも江藤淳は、まずもって指を折らねばならぬ、同時代文芸批評家の中心人物であり続けた。片寄りが個性に通じるような諸家の活躍の中心にあって、正統はここにあると主張して譲らぬ風格を示していた。片寄り個性の魅力に惹かれやすい若者読者からは、敬遠される場合もないではなかった。端的に申せば、立派過ぎたのである。

 つねに微笑みをたたえたような柔和な表情と紳士的な物腰でメディアに登場する江藤淳に、人はバランスのとれた円満かつ盤石の文学者の姿を視たのではなかったろうか。
 しかし長い文筆生活の節目にあたる各局面では、かなり戦闘的癇癪持ちで論争性横溢の批評家だった。若き日の『作家は行動する』も、『成熟と喪失』での提言も、フォニー論争でも、リアリズム文体の確立に果した俳文の役割への着目でも、『昭和の文人』でも、無条件降伏論争においても、癇癪玉を破裂させた。

 国士的な魂の持主だったろう。それが国粋主義的な様相をいささかも帯びる気配がなかったのは、時代のせいだ。戦後(昭和後半)日本にあっては、国士魂が皇国称揚の方向へは向いようもなく、アメリカ思想(および権力)の受容・反発・検証の方向へ進むほかはなかった。時代の、また世代の宿命である。江藤淳が身をもって体現した文学・思想問題は、ただ今現在の政治外交問題の核心部分となってもいるように思える。
 だが問題を拡大的に考えるのは私ごときの出番ではない。江藤淳を古書肆に出す。雑誌『群像』『文藝春秋』の江藤淳追悼号も付けて出す。『群像』同号は、後藤明生辻邦生の追悼号でもあって、一粒で三度美味しい号となっている。

 
 ただし『閉された言語空間――占領軍の検閲と戦後日本』『一九四六年憲法――その拘束 その他』『忘れたことと忘れさせられたこと』については、単行本は出しても文庫本のみは残す。
 大学の在外研究システムを活用したアメリカ滞在での、調査研究の成果である。と同時に、江藤淳ならびにその時代の日本を規制したアメリカによる、日本占領政策の核心部分に光を当てた労作である。歴史研究でもあろうが、正統的文芸批評家江藤淳の集大成ともいえる現代日本思想研究でもある。今後も再読の機会がやってくるような気がしている。