一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

またの一年

 端(はな)は長ニ。長崎二丁目の神さまたちのお乗物。担ぎ手も沿道も、毎年人数の多い神輿だ。

 駅の西裾から線路と直角に北へ一直線に延びるサンロードが、わが町の最大幅道路で、いわばメインストリートだ。谷端川を暗渠にしたおかげで、そうなった。以前は川の両岸に沿って細い泥道があった。台風直撃に遭うと水上りした。両岸一帯に膝丈浸水の大被害が出た年もあった。暗渠化は、先の東京オリンピックを目処にした、大車輪工事だった。
 線路に沿って東西に細長い町にあって、長崎一丁目と二丁目の境界にあたる。道を北へ歩めば、千早町へと抜ける。

 本社(神社)から派遣されてある氏神さまをまん中に、マンション建設により姿を消したかと思いきや、その屋上へとお移りのお稲荷さまも同乗しているかもしれない。いや西向不動尊だって、こういうときは遠慮なく神仏習合だ。なにせ神社のお隣には金剛院さまがあるから、乗合だ。
 女性の担ぎ手や経験浅い初心者を先棒へ出す。経験者の壮年たちは後棒を支える。肩が痛めば、沿道を歩く控え組がスペアのごとく潜り込む。今さら担ぎ手の中心でもあるまいというベテランたちは両脇から棒の平衡を支え、前後から進行速度を調整する。着古して色褪せた貫禄の半纏を引っぱり出してきた老人たちは、生返ったような面持ちで、手拍子で沿道に付添う。ホイッスルがけたたましく鳴り響く。手持ち拡声器から刻々の指示が飛ぶ。

 

 中(なか)は、ちはや一。千早町一丁目の神さまたち、本社へとお渡り。毎年もっとも元気で威勢の好い神輿だ。
 本社より派遣の氏神さまのほかに、城西通りの諏訪さまも同乗していよう。地蔵堂通りのお地蔵さんだってちゃっかり腰掛けてるかもしれない。かまうものか、ここでも神仏習合だ。なにせじっさいに乗っているのは神さま仏さまではなく、住民の気持だ。

 日ごろはそれぞれ別個に商売なさり、勤めに出ておられる。が、犯罪のない町であって欲しい、子どもが丈夫に育って欲しいとの願いは一緒だ。一時間ほど前まで山車の綱を引っぱっていた小学生たちも沿道を歩いている。ボヤボヤするなよ。十年もしたら、坊主、君が担ぐのだっ。十年なんぞ、アッという間だ。
 ベビーカーを押して、人混みで立ち往生している母親がある。新住民なのだろう。祭を侮っちゃいけません。マツキヨの前で写メを掲げ、大声の中国語で語り合う三人組の青年たちがある。楽しそうな笑顔でセブンイレブンの入口に立って眺める金髪のお嬢さんがある。あなたがただって、しかるべき手順で申し出てくだされば、来年からは揃いの半纏と鉢巻きで、担ぎ手になれますよ。

 

 しんがりは宮元。長崎一丁目(お宮のお膝元)の神さまたち、しばし本社へお戻り。ここは毎年、大人神輿だ。威勢の好い大声も飛び交うのだか、なぜか落着きがあり、しめやかな感じがかすかに漂う。担ぎ手が世代交代しても、変らない。
 保育園前の八幡さまも同乗していよう。聖パトリック教会のキリストさま東京豊島支部長さんだって、隅っこでパイプ椅子に腰掛けてるかもしれない。


 拙宅の家神さまは、昭和二十九年から三十三年までは、この神輿に乗っていた。昭和三十四年から現在までは、先頭を行った長二に移り乗っている。
 いちいち読返さないが、昨年の祭礼日の日記にも、おそらくは似たようなことを書き、似たような写真を掲げてあることだろう。また一年、生き延びたということだ。
 来年もまた、同工異曲の日記を書いていたいものだが。