一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

学との別れ


 小杉一雄の著作を蒐集した時期があった。中国美術史、仏教美術史、日本古代美術史、文様史を横断する、東洋美術史入門の講義を授かった恩師である。

 細身に格子柄のジャケット、時には蝶ネクタイ。お洒落な老教授だった。白以外に黄と赤だったか、二種類ほどの色チョークを手に握って登壇された。
 明治の文人画家小杉放菴の長男であり、小杉小二郎画伯の父上だ。
 「諸君ご存じでしょうかねえ、薬師寺の塔の屋根は、こうなってましょう?」
 「根津美術館にある殷時代の青銅器は、こうですよ。それが周王朝となりますと~」
 こともなげにサラサラと、黒板に図を描かれた。説明が済むとさっさと黒板消しを使われた。ああっ、と私は思った。で、また次を描かれた。ニスでもかけて、この黒板を取っておくべきではないかと思った。

 父放菴と面識あった会津八一に師事して、東洋美術史研究の道を歩んだ。薬師寺東塔の屋根の最上部、九輪のそのまた上に東西南北に向う平たい装飾(水煙)がある。三人の人物が透かし彫りされた、世界に唯一の図柄だ。この三人は仏を慰める舞い手と楽師の親子であって、先祖はガンダーラにて仏陀を荘厳して宙を自由に舞った飛天であると、実証的に瞭かにした人だ。またラーメンの丼を縁取る渦巻文様(雷文)はペルシア由来の植物文様(唐草)ではなく、殷周青銅器の表面を埋め尽す動物文様の眼の表現に由来すると、実証的に瞭かにした人でもある。
 それやこれや、深遠な学問を愉しい逸話として、門外漢にも解るように語ってくださる本に『奈良美術の系譜』(平凡社)があり『中国の美術』(現代教養文庫)がある。しかしあくまでもそれらは一般読者向け普及本であって、本丸は『中国仏教美術史の研究』『中国文様史の研究』(ともに新樹社)両著だ。おそらくは学位請求論文を二分冊として上梓されたもので、併せて一巻と考えるべきものとも申せよう。

 分野を問わず、一流の学問というものは、それはそれは無邪気にして美しいものだ。いく人かの、かけがえなき恩師の謦咳に接するをとおして得た実感だ。大学で学んだことを一行にせよとなれば、これである。
 自分は学問には向かない。娑婆の、たいして美しくないかもしれぬ文芸雑学を行くほかあるまい。留年学生は、六年半も在籍した大学を卒業する気になったのである。
 師の代表作二著を若者にも奨めたいところだが、あいにく入手しにくい。しかも高価だ。東洋史や仏教を専門とする鬱然たる古書肆の棚で稀に視かけたとしても、踏台が必要な高い処に収まっていたりする。手に取る度胸のある若者は多くあるまい。
 ならば私が買占めてストックし、熱意ある若者にお分けしようと、眼に着くたびに買い足しておいたものが、今も残ってある。

 四十年以上が経った。うちの二十数年は教員の端くれでもあった。「あの『文様史』を私にください」と願い出てくる若者とは、ついに出逢わなかった。当然である。底辺の雑学に関係する道しか歩んでこなかったのだから。
 小杉一雄著作のうち、手元に複数あるものについては、各一冊を残して、古書肆に出す。『奈良美術の系譜』だけは、複数所持するも、すべて手元に残す。

 高橋義孝がドイツ文学者の土俵から踏出して、文学論争に参戦した時期があった。熱い現場にあって冷静な学術的立場を維持しうるのは、背後にユーモア精神があるからだと、興味深く感じた。果せるかな、一般読者向けの随筆にも、いく篇もの出色作があるようだ。

 小学校では、福田恆存と同級だった。ある日、学校の水道蛇口では、女子児童が前屈みになって水を飲んでいた。福田はおとなしく後ろに行列していた。と、どこかから風のように走り来た高橋が、女子児童のスカートをパッとめくり上げ、また風のように走り去った。キャッと声を挙げた女子児童は振返り、怒るような軽蔑するような眼差しで福田を睨みつけたという。
 生真面目な福田とヤンチャ坊主の高橋という対照なのだが、後年のご両所の学風の相違は、すでに見えてある。福田は晩年まで「高橋君ってのはひどい奴ですよ」と云っていた。笑顔でではあったものの。

 大塚の江戸一で、店の四斗樽がそろそろ底を突くという日になると、大将から高橋義孝木下順二とに電話が行ったという。
 「先生、今日あたり、新しい樽の栓を抜きますが」
 「そうかい、よく報せてくださった。じゃああとで」
 木下順二にいたっては、その日の昼食後には、一切の水分を口にしなかったという。やがて暖簾がさがる頃おいとなり、ご両所ともいそいそとご来店、となる。
 文人的ドイツ文学者と英文学者的劇詩人。さてどんな顔して、どんな話題で新樽の口開けを飲んだもんだか。下戸の福田恆存では、こうは行かない。

 下世話な論争に首を突っこんだ高橋義孝であれば、『現代日本文学論争史』全三巻(未来社)、『戦後文学論争』上下二巻(番町書房)その他によって、かろうじて間に合う。文芸学的だったり文学史的だったりする本格的な『高橋義孝文芸理論著作集』上下二巻(人文書院)は、このさい古書肆に出す。