一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

豚の尻



 だれの詩だったか。豚の尻同士がゴツンゴツンぶつかりながら、トラックに揺られてゆく詩があった。名前まで付けて気を配って育ててきた豚を、時期が来たら出荷せねばならぬ、畜産農家の実情が詠われてあったのだろうか。

 昨夜遅く、古書往来座のご店主から電話があった。お手都合で荷を引取りにお立寄り願いたいと、先般お願いしてあったのだが、ようやく都合がついたとおっしゃる。で、今日の午後三時にご来訪となった。前回お引取りいただいてから、ちょうどひと月が経ったところだ。
 小ぶりのダンボール箱が二十四個口だ。箱の寸法は、おおむね揃っている。ビッグエーのレジで勘定を済ませて、自動支払機での入金も済ませたあとに、荷姿を整えて、買物袋に詰めるための作業台へと向う。長机を L 字型に並べてある。机下には、大きさ形さまざまのダンボール空き箱が積まれ、押込まれてある。買物量が多かったり重かったりするお客さまは、どうぞご自由にお使いくださいというわけだ。
 ミネラルウォーターや麦茶その他のペットボトル飲料が搬入されてくる箱が、私にとっての定型ボックスである。ちょうどあり合せたときには、ひと箱ふた箱いただいてくる。他の寸法の箱しかない日には、手を出さない。

 生鮮食料品を運んで来た大型ダンボール箱は、封入テープを外して平たくされた状態で、店外の目立たぬ所にひっそり置かれた大型ワゴンに積重ねられてゆく。引越しや事務所の模様替えの予定があるかたは、こちらに注目することだろう。どてっぱらに「栃木のキャベツ」だの「群馬のかぼちゃ」だのと大きく印刷されたダンボールは、はるかに厚手で視るからに丈夫そうだ。
 しかしこんなものに書籍を詰めてしまっては、今の私には持上げられも運べもしない。チョコレートだクッキーだ煎餅だ、せいぜいがところ飲料水のペットボトルだというあたりが相応だ。ワゴンに積上げ組よりはだいぶ薄手で華奢だが、書籍の二十冊や三十冊を詰めるには十分である。
 しかも個別包装されてある商品の員数を数えやすくまとめる程度が役割の箱だから、汚れというものがほとんど見られない。新品ダンボールのようだ。さらには上部だけ開いて商品を取出したらしく、底部の封入テープはガッチリ貼られたままだ。つまりまだ箱の形状をしっかり保っている。持帰ってすぐに使える。私としては、まことに世話なしで助かる。
 天の恵みとも申すべき、ビッグエー飲料運搬用ダンボール箱のおかげで、わが作業効率は目覚しく上昇している。

 正午すこし前に起床。躰の数値を計測・記録ほか日課行動。煙草・牛乳・缶珈琲の買出しに出る。本日はあいにく、定型のダンボール箱は見当たらなかった。溜め込んだストックがあるので、心配は無用だ。
 雨上りとはいえ、いつまた降ってくるかと不安な空模様につき、草むしり等の作業には着手しかねる。かといってパソコンを開いてしまうには時間が半端で、なにをしても作業途中になってしまいそうだ。古書往来座ご店主がいつ見えても差支えなきよう、荷物の置かれた場所での作業が望ましい。もうひと箱、荷物を造り足すことにした。

 急な思いつきだから、あちこちに散らばった単独本や端本の寄集め然としたひと箱となった。わずかに惜別の念が動くものはと申せば、マキノ雅弘自伝『映画渡世』全二巻(平凡社、1977)か。御大が喋り、山田宏一山根貞男両氏が聞書きした、痛快本である。だが人前で映画について会話する機会なんぞ、もはやあるまい。出す。
 『長﨑医大原子爆弾救援報告』(朝日新聞社、1970)。原爆投下後の昭和二十年八月から十月へかけての、長崎医科大学による救援活動の記録である。著者によって新たに執筆されたものではない。手作業で紐通しされた今ではぼろぼろになった当時の手書き記録・報告文書が残っていて、それを写真版で起したものである。
 肉筆文字の切実さと迫真力が凄まじい。今の世にいかなる位置づけがなされる記録かを取沙汰する見識は、むろん私にはないけれども、どなたかのお役には必ず立つ。私なんぞの手許にあるべきものではない。出す。
 書影を撮り了えたところへ、ご店主ご来訪。滑り込みのひと箱となった。