一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

歩くについちゃあ



 見すぼらしきかぎりながら、拙宅の花街道。

 手前から第一球根群。他より好適地にある利点から、まっ先に咲く。先頭の一花はすでに役目を了え、萎れた。
 第二球根群は、建屋隙間からわずかに西陽を浴びられる準好適地にて、旺盛。その先第三球根群からは、ただ今ツボミ一花。単騎奮闘の景色。さらに先の第四球根群からは、まず一花開花し、なおもぞくぞくと花芽伸長中につき、近日大所帯となる見込み。
 その先の第五および第六球根群からは花芽揚らず。今年は無理かもしれない。花に消費するエネルギーが足りず、地下に力を蓄える時期であろうか。花期終了後に訪れる葉のいっせい繁茂期のもようを注視するほかない。
 北詰め第七球根群は、第二と同様に西陽にも風通しにも恵まれた準好適地につき、すでに五花が満開。なおも花芽伸長中で、全体とおしての最大家族である。

 ともあれこれで、ガスメーターの検針担当さんには、建屋裏手まで苦労なく歩いていただける。とかく手着かずに了りがちの敷地北西角と西側塀ぎわにも、最低限の手を着け、建屋周囲を歩いて周回できるようになった。

 ところで歩くについては、昨今がっかりしたり恥かしくなったりすることがたびたびだ。買物途上で、べつにご商売の店内を覗き窺う気はないのだが、ついついガラス窓やガラス扉に映った自分の歩行姿勢を観てしまうことがある。美容院や犬猫医院や喫茶店など、巨きくてデザインも美しい窓や扉は、特にいけない。
 両肩が内に入って背中が丸く、前傾姿勢で首が前へ延び出している。たんに猫背だというに留まらず、腰から上全体が前傾しているようだ。よくこれで立って歩けるもんだと感心するほどだ。道理で、近年歩幅が短くなってきているとは自分でも気づいていたが、当然である。

 歩くことについては、かつてそうとうに気を遣った時期があった。距離に関しても姿勢に関してもだ。しかし定年退職と疫病騒ぎとが重なって、生来のものぐさに拍車がかかり、習慣は崩壊した。
 では年寄りは本来いかなる姿勢で歩くのがよろしいのだろうか。

 まず脚だが、一歩ごとに両膝の内側がかすかに擦れ合うのが理想らしい。若いころは無意識でさように歩いているが、老化すると両膝の内側が開く。体幹の維持が危うくなり、重心を安全に支えようとして、自然とそうなる。裏を返せば、疲労困憊した人や老人の演技をしたければ、両膝に間隔を開けて歩けば好いことになる。虚勢を張るチンピラを真似る場合にも。
 加えて私には、若き日に球技に熱中した者の悪癖で、両足爪先が真正面を向く。腰を低くしたまま小股で速く走るためには、ぜひとも身につけねばならぬ習慣だったのだ。だが齢をとってもこの習慣が抜けぬと、内股というほどではないにせよ、尻を後に突出した前傾姿勢となりやすい。小学校では、気ヲツケの姿勢は両踵を着けて爪先を六十度開くと教わったものだが、爪先を少々開くことで尻が絞られて前に出て、姿勢が垂直になる。つまり爪先が少々外向きであることで、背筋が維持される。

 早足である必要はない。若者に追い抜かれるのは当然である。大切なのは歩幅らしい。無意識に歩いている歩幅を、三センチ広くしようと心掛ける。と、かすかに「蹴り」の運動が加味され、足首の柔軟さやふくらはぎの筋肉を維持してくれるそうだ。

 上半身については、無理に胸を張ろうとすると肩が上って、いわゆる怒り肩となって逆効果だという。肩を下げたまま胸を左右に開いて、肘を張るのではなく締める。つまり掌が前を向くような腕の絞りだ。
 腕振りは、前では外へ、後では内への気分。間違っても昭和の「欽ちゃん走り」的にならぬよう。
 無理に姿勢を正そうとせずに、頭のてっぺんから上空に伸びた紐で吊るされている気分で、ということらしい。

 さよう教えられて、想い当った。これは晩年の笠智衆さんの歩きかただ。『今朝の秋』『ながらえば』など山田太一ドラマにおいて、笠さんによる老残の一徹の表現は、まさにお見事というしかなかった。黒澤明『夢』の末尾で、百花咲き匂う理想郷の道を、鈴を振り鳴らしながら踊り歩く笠さんの姿には、思わず掌を合せたくなるほどだった。
 たしかに笠さんの両膝は割れていない。老齢相応に前傾だが「欽ちゃん走り」の前腕にはなっていない。歩調はもどかしいほどゆっくりだが、一歩々々は踏みしめるように確かだ。なによりも、天から垂れ下ってきた紐に吊るされて生きているようだ。
 とりあえずサミットストアまで、あんなふうに歩いてみようか。