一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

黒い本、白い本

 古書店さん関係者や愛書家のあいだで交される、いわば業界用語のひとつに「黒い本、白い本」という言葉がある。店内の色調や空気感に由来する言葉だそうだ。

 日本文学を例にとると、井伏鱒二川端康成の著書を棚にぎっしりと詰めてある書店があったとして、たとえ刊行時には洒落た明るい色調の本たちだったとしても、経年変化によって、自然の色褪せや黒ずみは避けられず、棚全体が鈍い色合いとなる。店全体の印象も、いくら蛍光灯を LED 照明に換えたところで、どっしりと重いものとなる。
 いっぽう文芸批評家や研究者による井伏鱒二論や川端康成研究を、漏れなく取揃えてある古書店もある。井伏・川端当人の著書は置かない。現代に近い刊行年の本たちだから、色褪せも少なく、ビニールカバー掛けの本も函入り本も多い。棚全体が鮮明な色合いとなる。店全体の印象も明るい。
 前者が黒い本を扱う書店さんであり、後者が白い本を扱う書店さんである。

 畏れ多いが、たとえば神田神保町の本屋街にあって日本文学を専門に扱う有名書店さんのうちから、初心者にも一目瞭然の典型例を挙げれば、神保町交差点からやや東寄りのビル六階に店を構える「けやき書店」さんは黒い本の専門店だ。それよりずっと東へ寄った駿河台下交差点近くの、三省堂書店(ただ今工事中か)並びの一階二階を店舗とする「八木書店」さんは、白い本の専門店さんである。
 オリジナル感を愛好したり、文庫化されてない本を追跡したりする愛書家と、研究発表や卒論のために先行業績や資料を漁る向学者というわけで、客層も異なる。

 笹淵友一『「文學界」とその時代』上下二巻(明治書院、1959~60)が手許にある。日本近代文学研究科に在籍して、北村透谷や島崎藤村を研究しようと志す大学院生ででもあれば、一度は眼を通さねばならぬ先行業績だ。経年変化で黒ずんではいても、白い本である。

 雑誌「文學界」同人だった馬場孤蝶『明治文壇の人々』(原本は三田文學出版部、1942)、平田禿木『禿木遺響 文學界前後』(原本は四方木書房、1943)がある。タネ本であればいずれも黒も黒、まっ黒な黒い本だ。私ごときが容易に手に入れられる本ではない。よしんば手に入れたところで、戦時下の昭和十七年十八年の刊行物となれば、材質は推して知るべしで、保存管理に自信が持てない。手元にあるのは『明治大正文学回想集成 』の十三巻十四巻(日本図書センター、いずれも 1983)だ。
 二冊とも扉には、某名門女子短大図書館の蔵書印が捺されてあって、後ろ見返しには貸出カードを差してあった袋が貼られたままだ。あまりに利用も貸出しもされないために、蔵書整理で出されたのだったろうか。それとも短大と四大の図書館の統合でもあって、ダブりが処分されたのだったろうか。新品同然の美本である。
 神保町古書店街から水道橋駅方向へ五分歩いたあたりに店を構える、黒い本白い本を問わずに独自の見識で品揃えする「西秋書店」さんの目録に出たので、いただいておいた。

 戸川秋骨戸川秋骨 人物肖像集』(みすず書房、2004)は現代の刊行物で、秋骨による六冊の随筆集から人物紹介・回想の文章を抜き集めたアンソロジーだ。むろん六冊のタネ本はいずれも、すこぶる付きの黒い本である。
 孤蝶・禿木・秋骨の三著はいずれも、編者や解説者の文章も寄せられてある後年刊行本だから、書店さんの眼には白い本なのかもしれない。が、内容にしか関心がない一読者たる私にとっては黒い本である。少なくとも黒い本を感じ取るよすがとなる唯一の手がかりだ。原著者の言葉を直接聴く本である。
 もはや勉強はしない。できもしない。笹淵友一を古書肆に出す。娯楽としての読書はする。馬場孤蝶平田禿木戸川秋骨らは残す。