一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

んもぉ緑で緑で


 学友の大北農園さんから、大量野菜ご到来。添書きでは「ほんの少々」とのこと。お言葉ながら、それは畑に立って眺めたかたの云い分だ。独居台所にあっては、質量ともに存分の頂戴物だ。目下拙宅は、緑大臣である。

 間引き大根だという。大北家では、間引くたびにまだ小ぶりの大根を食卓に載せ、シーズン最後の大トリに、完成品の大根を膳にするとのこと。なるほど。さぞやご夫妻眼と眼を視交され、頷き合われることだろう。
 根と菜を切離して、根は泥つきのまま冷蔵庫へ。泥は調理直前に落すべきだ。菜はよく洗いながら傷んだ葉を贅沢に外し、ヤマ勘で二分割。ひと山は淺茹でしてから一回使用分づつに小分けラップして、冷凍庫へ。お浸し方面か油炒め方面か、いずれにも舵を切れる程度にしておく。もうひと山はほど好い寸法にざく切りして、サラダボールに盛り塩を振っておく。十分に水出ししてシンナリさせたら塩を洗い流して、浅漬けにするつもりだ。漬け汁は、酒+酢+蜂蜜+砂糖。蜂蜜を加えると、酢を多少強めにしても刺激が緩和されて甘酢となる。

 春菊は大好物だが、大量である必要のない野菜だ。独り鍋は酔狂が過ぎようから、天ぷらが一番美味い。よく洗ってから生のまま、乾燥の加減処理だけして冷蔵庫へ。
 小松菜はお浸し一本鎗でよろしかろう。よく洗ったつもりでも根に連なっていた(つまり地面に近かった)部分の泥は取り切れるものではないから、もったいないけれども茎の密集した根つき部分は切り離して、各一本茎にして洗う。これも大鍋で茹でたら、一回使用分づつ小分けラップで冷凍庫行きだ。
 産地直送野菜をいただくときの最たる愉しみは、洗い段階にある。一度二度洗っても、三度目にはまだ水にうっすらと泥が混じる。八百屋の野菜がいかに徹底して洗い尽されたものだったかを痛感せずにはいられない。生産農家や自給家庭においては頭の痛い面倒な作業行程だろうが、年に数度の身にはこれが愉しみである。


 里芋は大好物だが、八百屋で手を伸ばすことはめったにない。さつま芋だって山芋だって好物なわけで、さればとて芋の勢揃いなんぞは独居自炊所帯には贅沢な夢というものだ。やむなく、なんにでも転用流用自在でコスパ最高のじゃが芋一辺倒となってしまう。
 当然ながら近日中に、煮っころがしとする。直前まで泥つきで保存するのも、これまた当然のことだ。

 以上の下ごしらえをしながら、片手間にアイス珈琲とアイス紅茶、つまり明日一日分の飲料を沸かして冷まし、出汁巻玉子を焼く。夜が明けてきた。ええいっ、ついでにやってしまえとばかりに、じゃが芋と人参の在庫を一掃すべく、カレーを仕立てることにして、玉ねぎを炒め始めた。これがあれば三日は食える。
 台所に踏入ったとき NHKラジオ深夜便』では午前二時台のポップス名曲を流していたのだったが、カレーの火を止めたときには、ラジオ体操が済んでいた。