一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

昼寝


 防寒だろうが防暑だろうが、夏冬とおしてエアコンというものを使わなくなって、もうなん年にもなる。だからって、侮ってもらっては困る。

 この陽気に体力低下が追討ちをかけて、最近始めた習慣、というほどでもないが日常的対処がある。食後の昼寝だ。
 炊事のあいまに、同時進行で野菜を洗ったり切り揃えたりもしておく。出汁を取って、食事中に冷ましておく。珈琲なり紅茶なりを沸かして、これも冷ましておく。
 食事を了えて、洗いものも済んだころ、鍋ごと水に浮べておいた飲料が冷めていたら、ボトルに移して冷蔵庫へ。出汁が冷めていたら、野菜その他の具で煮物などの常備惣菜を仕立てる。

 煮あがるまでは眼が離せぬから、ラジオに耳を傾けるか、古いジャズを流すかしながら、一服。用件たて込みの時代は、こゝから早くも、読み書きの時間にできた。が、最近それができなくなってしまった。
 そこまでの過程で、くたびれてしまう。うとうとと睡魔が襲ってくる日すらある。鍋の火を止めたからといって、すぐには仕事モードに切換えられない。
 一時的な体調のせいだろうと、たかを括っていた。あるいは気がたるんでいるに違いないから、こゝは一番おのれを叱咤し気合いを入れなおして、などとも思った。
 が、たび重なるうちに、もしやこれはもっと根本的な、老化による体力低下ではあるまいかと、疑われだした。さらにたび重なって現在では、さように相違あるまいと確信するにいたっている。

 暮しの習慣をいかに改めればよろしいか。食事のための炊事と、常備菜の調理とを一緒に片づけようとするのが誤りではないか。睡眠時間が足りてないのではないか。決った時間に食事しないのが間違いではないか。
 いずれも改善しようとすると、どこかしらに別の不都合が生じる。ついに改善を諦めて、眠くなったら、一時間昼寝すると決めた。

 父の介護を了えて独り暮しとなってからは、就寝が宵の口だろうが明けがただろうが、睡眠は原則六時間と決めてきた。三十分一時間といった細切れ睡眠を強いられたなん年間かのあいだ、あゝせめて六時間ぶっ通しで眠りたいものと、切実に思わぬ日はなかったからだ。
 六時間眠れるとなれば、目覚し時計をセットするにも、起床針を短針と百八十度の位置に合せればよろしいから、世話なしだった。
 昨年は、父の十三回忌だった。私もそれだけ老化したわけだ。十三年一日、六時間睡眠を貫いていては、躰がしんどくなってきているのかもしれない。よしっ昼寝しよう、となった次第である。
 

 そうと決れば、いかに充実した一時間とするかが、次なる課題だ。毎年この季節の就寝時に繰出す特殊兵器がある。アイスノン枕と熱さまシートだ。両兵器の連携による、額と首筋を冷しながらの睡眠導入には、驚嘆すべき戦果と申すべき安眠実現力がある。
 起きているあいだは、昭和時代から愛蔵の扇風機がデスク脇で首を振り、寝室では連携特殊兵器が絶大なる戦闘力を発揮する。したがって、拙宅ではエアコンを使わない。

 ところが完璧と見える装備にも、操作手による手違いは起る。目下の問題点は、昼寝が心地よすぎて、三時間も四時間も眼醒めぬ日が生じ始めていることである。