一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

修繕



 拙宅北側に隣接する児童公園にて、今朝九時半から木製ベンチを修繕なさるかたがある。資財を積んだトラックが、往来からの視線を遮るように横づけされたのは、おそらく九時前だったろう。

 経年変化によってほど好く変色し摩耗し、表面に艶が出たベンチは、それなりの風情があって悪くない気もする。が、木目の硬い部分が浮出てささくれ立ったり、留め具の金属が錆びたり浮出たりして、不都合があるのかもしれない。大人は眼で視て加減しながら腰掛けるからよろしいとしても、子どもたちにとっては、なんらかの危険があるのかもしれない。
 「綺麗になりますね、ご苦労さまです。いつぶりですかねぇ、ともすると、設置後初めてかしらん?」
 「さぁどうでしょう。そうかもしれませんねぇ」
 体格の立派な、思いのほか笑顔の爺さんだ。と申しても、私よりは若い。
 「お手を停めて失礼ですが、大工さんでいらっしゃいますか? それとも木工職人さんで?」
 「いいえ、職員です」
 「さようでしたか。それはまたたいそうご器用で。お見それいたしました」

 私も馬鹿な声を掛けたもんだ。豊島区といえば職員およそ二千人。上場企業なみの組織である。区民対応の窓口サービス部門以外にも、さまざまな職種があるに決ってるではないか。本庁舎こそ今日風の高層ビルに建て替ったとはいえ、サッシ窓だ間仕切りだ、手すりだ扉だと、手仕事に頼らねばならぬ営繕業務や清掃業務はいくらでもあることだろう。ましてや出先機関ともなれば、さまざまな職能人がおられるにちがいない。
 区のホームページを覗くと、事業所区分のなかに「公園管理事務所」があって、技術系六、技能系五、合せて十一名の職員さんがいらっしゃる。「技術系」と「技能系」とがどう異なるのかはまったく知らない。

 「手に職」というのは佳い言葉だなあなんぞと改めて敬服しながら、つかの間見学させていただいた。
 ところで、公園の木製ベンチを直すのは「修理」だろうか「修繕」だろうか。どうせ国語小辞典を引いたところで、どちらも「つくろってなおすこと」と区別不明の応えが返ってくるに決ってる。
 わが愛用の昭和扇風機が、カラカラ音が鳴るようになったので、素人でもドライバーで開けられるところを開けて、埃と油汚れを布で拭う。差してかまわぬ箇所があれば油を差す。このていどなら清掃・調整だろう。懇意にしていただいてる高木電気商会さんに摩耗部品の交換をお願いするなら修理だろう。雨どいが一部破損して、あらぬ箇所に雨水が集中落下する。雨漏りの原因ともなりかねない。それに対処するとなれば、修繕だろう。
 修理というと機械類・道具類を連想する。修繕となれば建物および関連の造作が思い浮ぶ。おそらくは私一個の先入観だ。異なる語感をおもちのかたもあるにちがいない。
 類語に「修復」がある。こちらは歴史的建造物や逸品など貴重な文化財を修理する場合だけに用いる、特別な語との感じがする。がけ崩れ事故から鉄道線路やトンネルを修復するのは、線路もトンネルも重要貴重だから誤りではないものの、「復旧」がより適当なのだろう。

 ワイシャツの袖口のボタン付けは? 毛糸が擦切れてセ-ターに穴が開いたので、糸でかがって穴ふさぎするのは? 修理とも修繕とも決めかねて、「ボタン付け」「針仕事」「穴かがり」と個別呼称で逃げてきた。
 難問は適合する個別呼称がない作業案件である。金槌の柄が抜けそうだとか、鍋の持ち手が緩んで危ないので締め直すとかは、道具に関する案件だから、かろうじて修理でよろしかろう。玄関扉がさがって蝶番がきしり音をたてるのでドライバーでネジを締め直すだの、郵便受けの蓋が閉りにくいので掛金の角度を曲げてみようだのは、建築周辺ということで修繕となるのだろうか。いささか微妙な気がする。決めかねる。

 『広辞苑』『大言海』と二種の中辞典がわが書架にあるが、わざわざ引き較べるのも大仰な気がして、気が差す。ましてや図書館にまで赴いて『国語大辞典』『大漢和辞典』を引く気は、今のところない。