
夜が明けてほどなく、家の周りを歩いてみた。
ついひと月前には、わが日記における中心話題の観すらあった彼岸花の、これが現在の姿である。第六球根群とその周辺だ。もっさりと密生した細葉の小山だ。リュウノヒゲ・ジャノヒゲの仲間かとも見えてしまう。
剪定鋏で葉をジャキジャキ切ってみると、ニラを刻んでいるような瑞々しい手応えがある。先日、第一球根群を引越し植替えするために、いったん丸坊主にさせたさいに確かめた。
花に全精力を使い果した草ぐさは、ともかく疲労を回復させようとしてか、それとも来年の飛躍を期していち早く基礎体力作りを始めようというのか、猛然たる速度で葉を伸長させる。一夜明ければ伸びている、音を立てて伸びるといった形容が、まさしく当てはまるようだ。
葉を、つまりアンテナをいっぱいに伸ばして、光合成により球根に力を溜め、また球根群の規模を大きくすることに成功すれば、葉はあんがい呆気なく枯れてゆく。藁か干草が地面から生えているかのような姿となり果てる。
年が明けて、シダやドクダミが葉をはびこらせ、先頭を切ってタンポポが花芽を挙げてくるころともなれば、彼岸花の球根群はわずか一部を地表に覗かせるだけとなり、地面の瘤みたいになってしまう。頑強旺盛な雑草群に埋れて、姿を消したかにも見える。
が、季節が来ると、あれよという間に長身の茎が雑草群の身の丈を追越し、花を陽光に晒す。
私にとっては、当然ながら花時期の彼岸花に存在感を覚えるが、彼岸花自身にとっては今が、およびこれからしばらくが、一年でもっとも重要な時期なのではあるまいか。

信号のある十字路からすぐの、道路標識の足元あたりが、資源ゴミの出し場所である。昨日の朝は色違いのコンテナと箱型ネットが並び、缶・瓶・ペットボトルを回収していった。今日は紙類と古布類の回収日だ。十月一日からの新たな制度で、「プラ」表示のある特殊紙や雑貨片を一緒くたにした袋を、この日に出すことになった。
そこでプラゴミひと袋。それにこのところの夜鍋で仕上げた紙類の結束ゴミを、いっせいに出す。ダンボール一結束、厚紙ボール一結束、古新聞一結束、冊子カタログ類一結束、チラシ・包装紙・コピー用紙ほか雑紙混合が六結束。
両手にゴミを引っさげて、拙宅との間をなん往復もするのは照れ臭く、深夜に往復した。それが変りなく積みあがっているか、夜が明けてから確かめてみたというわけだ。
二十年も前だが、冊子ゴミの結束中に、古本屋へ持込めばいくらかになるものが混じっていたと見え、いや、さように踏んだご仁があったと見え、結束が解かれて散らかされたことがあった。以後、市場価値が発生しそうなものは、ゴミにしてはならぬと、気を遣うようになった。
そんなことはたびたびあるはずもなく、今朝も私が昨夜積んだままのゴミ姿だった。ご近所のかたが出される前に、自分だけのゴミ姿を確認してみたかったのである。
気が済んだから、これで寝る。