一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

谷間の誉れ



 「追出しコンパ」は死語だそうだ。ではなんと称ぶのだろうか。私は知らない。

 大学はもっと愉しい処のはずだった。多くの学友と交流したり、時には反目したりできるはずの処だった。ところが登校すらできぬ時期があった。健康チェックシートを毎回提出しながら、かろうじて入構が許される時期もあった。
 学生サークルは新入生勧誘の機会もなかった。新入生にしてみれば、仲間に入りたくても、どこにどんなサークルがあるのか探し当てられなかった。伝統ある老舗サークルのいくつもが、姿を消していった。
 古本屋研究会は典型的な弱小サークルだ。古書店のある街を、散歩して歩く。本との出逢いを愉しみながら、知らなかった街を驚いたり面白がったりして歩く。そして年に三日だけ、大学祭期間中に古本屋を開店する。それだけのサークルだ。こんなちっぽけなサークルが、コロナ禍にあっても消えなかった。

 どこでどう探し当ててくれたものか、女子の一年生が一人、入会してきた。彼女には同学年の仲間はいなかった。次の年の新学期もその次の年も、新会員の勧誘などできなかった。手配りのビラや乏しいイベント機会を精一杯活用して、本が好きな新入生をなんとか集めた。その下級生を必死にまとめた。大学院生として学内に残っていた先輩たちは、本来であれば自由参加の OB 身分であれたものを、会の危急存亡とばかりに、学部生たちに力を貸してくれた。
 自由に登校できるようになった。一人学年の女性会長が卒業してゆく。助力を惜しまなかった大学院生が修了してゆく。


 在校性がたくましくなって、会を運営している。彼女がまとめてきた下級生たちだ。
 四年生の追出しコンパは今や死語だそうだ。ただこの数年間が逆境の谷間だったことは、だれにも判っている。都合のやりくりがついた OB 連中が駆けつけてくれる。さながら同窓会だ。


 かつては私と一緒に、ただやみくもに古書店を眺め歩き、知の底辺を躰で感じ取っていった連中だ。とはいえ卒業後五年十年経てば、懐かしい昔噺だけでは済まない。職場の景気、転職の事情、身辺や家庭、いろいろな話題が繰り広げられる。今やたくましい社会人となって、ジジイはまだ息して歩いているかと、当方の老体を気遣ってくれたりもする。出張土産だと、地方の銘菓を届けてくれたりもする。
 冗談じゃねえや。イタチの最後ッ屁で、世の中にひと泡吹かせてやるからナ、観ていやがれ。


 閉会まぎわ、店のママさんが全員集合の記念写真を撮ってくださるという。せいぜい笑み一杯の晴ればれ顔で写って欲しい。けれども私には、彼ら彼女らの後姿のほうが、遥かに感じるもの多い。2024/02/17 at SAIYA