一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

松さげる



 門扉左右の松をはずす。玄関玉飾りをおろす。空気や水の入口だの鬼門の窓だのを守護していた裏白の輪飾りをすべて集める。

 昨日七草のうちに下げるべきだったろう。そう思わぬではなかったが、立込んでいた。心急いていたのだ。閑用として翌日回しにしてしまった。
 神社へ持ってゆけば、境内に巨大な穴が掘ってあって、お焚きあげしてくださる。実際に持って伺ったこともある。が、近年は伺わなくなった。藁や裏白は、剪定鋏でざくざく切って、いずれは土中に埋め戻す。海藻類は、まさかこれから出汁を取るわけにもゆかぬだろうから、水を含ませて微塵に刻んでから、これもやがて埋めてしまう。地中でガスが発生するかもしれぬが、人体に影響ないものとして無視する。柑橘は割って、これも土中のものとなる。
 紙垂(しで)や水引といった紙類が残る。留め金やホチキスといった金属類が残る。縁起物の海老型モルタル細工が残る。いずれも分別してゴミにするしかない。今後一週間ほどの作業内容となる。
 さて松だが、そこらに放置しておく。半年もすれば松葉は枯れてくるから、過剰乾燥させたくない地表の保護材として撒いてしまう。問題は枝だ。脂が強く、一年二年では乾燥しない。葉が着いた小枝をすべて払って、棒状となった枝が、なん年分か溜っている。ごくたまに、役立つことがある。長もちさせたい穴を支えてくれたりする。

 昨夜から今朝にかけて、だいぶ風が吹いたようだ。松をさげている私の周囲を、カラカラと枯葉が舞い、塀ぎわにも建屋と門扉の隅にも、だいぶ吹きだまってある。急遽箒と塵取りを持出して、履き集めた。たいした量にもなるまいと見くびって取りかかったんだったが、思いのほかの量になった。だったら穴を掘らねばならない。スコップを持出して、掘る場所の物色にかかる。まさしく泥縄進行だ。
 ここらあたりと見当をつけてスコップを入れたら、ドクダミの地下茎やシダの根っこがゴッソリでてきた。温かくなるころ、こいつらが暴れ出すのだ。予定変更して穴の間口を広げ、一メートル平方の地下茎・根っこ類を掘り出してしまうことにした。新年初作業だ。しかもとんだ泥縄。
 穴には枯葉とともに、バナナの皮などをも埋めた。発酵促進にはなるだろうが、有毒ガスも発生するかもしれない。植物に有毒なのであって、私にではない。埋め跡に如雨露で水をたっぷり注ぎかけ、作業終了。桜の葉はこれで散り納めかもしれない。あとはカリンの葉が降るが、たかが知れたもんだ。


 昨日は本年最初のユーチューブ音声収録日だった。例によりディレクター氏が機材一式をトランクに詰めて拙宅へお越しくださる。これまた例により、私の予習は十分でない。時間不足を恨みながら、験担ぎのカツ重弁当で直前の時間稼ぎを図った。
 その昔教室で学生諸君に聴いてもらった噺を、そのままマイクに向って再現してくだされば、予習など不要ではとおだてられてはいるものの、記憶が飛んでるわ、滑舌が悪くなってるわ、歯を失ってサシスセソやハヒフヘホが発声できぬわ、息に力がなくなって語尾が聴き取れぬわ、いやはやさんざんな出来である。

 文人だろうが政治家だろうが実業家だろうが、いかなる偉人も、人生の最高潮期を十年間維持できてはいない。長く活躍しているように見えても、絶頂以前の刻苦勉励期が人の眼を惹いたり、絶頂後にも周囲から敬老精神をもって好意的に遇されたに過ぎない。
 ましてや一介の文学読者に、絶頂期などあったものやらなかったものやら、あやふやなもんだ。さらに凋落期を迎えて、芸だの徳だのがいまだ身に残ってあるものか、ないものか、じつに怪しいもんである。「片鱗」などという体裁のよろしい語があるが、実情は鎮火した焼け跡から焦げたホチキスの針を見つけ出すようなものではないのだろうか。

 加えて昨日は、収録後に心ある数名のお若い友人たちが参集して、新年会が催されることになっていた。ディレクター氏ともかねて存じ寄りの面々五名が、どれどれとばかりに収録現場へおこしくださり、へぇーこんなふうに収録してたのかと、見学視察ひとしきり。いちおうの視察が済むと、つねの集会場としてある居酒屋へと移動して行かれた。全作業を了えたディレクター氏と私とが、遅れて合流の運びとなった。
 日曜日とはいえ、またいまだ松の内とはいえ、それぞれに働き盛りの年齢でご多用中であろうに、よくもまあ酔狂きわまる活動の見聞などにお出掛けくださったものと、感服もし感謝もした。
 松をさげる日が予定より一日遅れるていどのことには、とうてい換えられない。