一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

雲の秋



 今年の十一月は酉の日が二回だ。昨日が二の酉だった。
 年寄りが人混みへのこのこと出ていっても、人さまにご心配をおかけせずに済みそうな、久しぶりのお酉さまである。どなたにも声を掛けずに、独りで歩いてみようかと、楽しみにしていた。

 新宿花園神社へ欠かさず出掛けるようになったのは、五十歳ころからだった。飲み疲れてタクシーを拾い、たまたま同方向へ帰る学生二人と池袋まで同乗することになった。十月下旬のことだ。花園神社の前を通過するとき、石塀に張られた横断幕が眼に着いた。今年の酉の市はなん日なん日と、デカデカと予告されてあった。
 「寒いわけだなぁ。もうお酉さまだよ」
 「へっ、先生、オトリサマって?」
 面喰った。日本近代文学を勉強して、将来は小説を書きたいとうそぶく学生二人が、酉の市を知らない。二人とも関東出身ではなかったから、育った身近に酉の市はなかったかもしれない。別の呼び名だったかもしれない。それにしたって…いくらなんでも…。
 「お酉さまを知らねえんじゃ、一葉も鏡花も、荷風久保田万太郎も、読めたもんじゃねえなあ」
 軽く呆れた口調を装ったが、内心は愕然としていた。

 さっそくその年から、身近にうろうろする学生諸君を伴って、酉の市を歩くようになった。半分は課外実習のつもりだった。数年後には学生サークル古本屋研究会を立上げたので、サークル行事ででもあるかのように、毎年歩いた。
 学生諸君はどんどん卒業してゆき、またまた入学してくる。二十年も歩けば、当方もくたびれてくる。新宿花園神社の混雑は格段に凄まじいものとなった。外国人観光客がかなりを占めるようになった。好みの熊手を物色する客よりも、自撮り棒で撮影する客の姿が目立つようになった。
 最初のころ共に歩いた連中は四十代となっているから、だれかにバトンタッチできぬものかしらんと弱音を吐きがちとなったおりしも、疫病騒ぎが起きた。そして私は定年退職となった。
 若者たちに江戸文化を語る使命なんぞからは、お役御免だ。今年あたりは独りで歩いてみようかと、楽しみにしていたのだ。

 私の半生はとかくさようなのだが、前々日が急に冷えこみ、ひどく鼻水が垂れた。日に三包も葛根湯を呑んだが、快癒しなかった。翌日は鼻がむずかり、くしゃみが出た。快方に向ってはいる証拠だ。私の鼻風邪は鼻水に始まり、頭痛や関節痛を経由して、くしゃみによって残菌を吐出すをもって終了するのが定常コースだ。
 当日(つまり昨日)は、ポケットティッシュの三個四個も携帯すれば、出掛けられぬでもない体調ではあった。が、弱った老人が人混みを歩いて、インフルエンザでも頂戴しては事件だ。漫画的なマサカは、きっと起る。
 鉄道に乗るのは諦めて、金剛院さまへの墓詣りに変更した。今月の二十六日が亡父の命日だ。しかし年になん回かしかない少々込入った仕事が入る予定なので、命日は前倒しとした。

 ダイソーに寄って、亀の子タワシを買う。包装袋に亀の子とは書いてない。棕櫚の葉とも書いてない。天然素材とだけ書いてある。在りし日の亀の子タワシほど丈夫ではなさそうだ。二個入りで百十円。墓石の汚れが著しいことに気づいてはいたが、手抜きを決め込んできた。年末一回の掃除では行届かぬだろうから、今月あるていど手を着けておこうと思い立ったわけだ。
 花長さんでは、今日はおかみさんお一人のお店番だった。
 「お母さん、いつも思うんだけど、おぐしが見事な銀髪になられましたねえ」
 「その代り、すっかり抜け禿げました」
 「とんでもない、たいそう上品なもんじゃありませんか。お手入れもさぞや?」
 「遺伝でしょうねえ。母が若白髪で真白でした。子供心に年寄り臭いわねえと思ったもんでしたが、気がつけば自分がもうすっかり。いやだわ、戦前の噺なんかして」

 金剛院さまでは、まず庫裏へ顔出しして線香をいただく。境内に咲いている花と生っている実はなんでしょうかと、お訊ねしてみた。さぁ、私にはさっぱり判りませんと、若住職のお応えこそさっぱりしたものだった。境内の樹木手入れから灌木や草花の植栽全般は、旧くからの地元職人である秋村造園さんが一手に仕切っておられる。
 「さようですか。でしたら写真を撮らせていただいて、図鑑で調べてみましょう」
 「そうなさってください。私も知りたいです」
 えっ、結果を報告しなければならないということ? 口は禍の元。
 昨日一昨日の冷えこみから一転して、厚着したりマフラーを巻いたりでは汗ばむ陽気となったゆえか、墓地を眺め渡すと三組の先客があった。

 懸念したとおり、墓石の汚れはひどいもんだった。年内にあと二回は洗わなければならない。墓石背後の、塔婆立てとの間に、タワシを一個置いてきた。墓詣りのついでにわずかづつでも磨いたり洗ったりできるようにである。通りかかる人からは見えないから、持ち去られることもあるまい。
 最小区画の墓所の狭苦しい隙間で作業すると、腰も背中も肩もすぐ痛くなる。足元が危うくなり、転びそうにもなる。深呼吸するつもりで背筋を伸ばす。空一面に、いかにも秋、といった雲だ。
 来年こそ独りで酉の市へ。向う一年間、生延びる目的がひとつできた。