一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

一歩あり



 囲碁・将棋といった習い事は、だれから教わってもいい。どう教わってもいい。教わるからには、ただひたすら熱心でなければならない。熱心さが足りなければ、一生ヘボで了る。身に浸みて自覚している。

 政財界人や富裕層や大新聞社がこぞって、日本棋院日本将棋連盟に肩入れするのを視て、その分野にご関心ないかたは首を傾げるかもしれない。囲碁・将棋には大人の芸事という側面がある。たんなる勝負遊び・道楽ではない。昔は「男の習い事」と云った。女性が茶道華道や舞踊音曲の稽古に励むのと同列である。
 競技としての面白さがふんだんにある麻雀と異なるのは、偶然つまりツキの要素が全くない点だ。強い者にはけっして勝てない。五十年も打ってきたジジイだって、将来プロを目指す少年から教わるときには「ご指導をお願いします」であり、局後の検討では「おじさん、ここが違ったヨ」「ははぁ、そうでしたか、ありがとうございます」となる。
 筋読み・人読みの点ではたいそう面白い分野と聴く競馬・競輪その他の賭け事と異なるのは、自分の腕前でしか勝負できぬ点だ。みずから騎手であり選手であり、同時に馬券・車券購入者だ。
 古来公家にも愛されはしたものの、それ以上に武家から愛され、打ち継がれ指し継がれてきたのも故なきことではない。もっともその時代にもし麻雀があったら、との想像は面白くはあるけれども。

 熱心に学ぶには、専門棋士のどなたかのファンになるのがいい。好みの棋風なんぞと云ったところで、初心者に判るはずもないから、同時代に名を馳せる一流棋士に人気が集まるのが自然だ。世代的必然である。私の場合は坂田栄男だった。ところがここが私の駄目なところで、坂田の伝記や発言録や周辺逸話ばかり読んでいた。打ち碁集は後回しになった。強くなる人は、まず打ち碁集を手に取る。
 碁とはいかなるゲームかを深く納得させてもらったのは、梶原武雄の打ち碁と解説によってだ。ただ丸いだけと見える石にも、じつはそれぞれ眼が付いていて、どっちを向いているか、いわゆる石の方向というものが徹底的に説かれてあった。眼先の実利を捨てて全局的厚みを獲ることの効果も、口うるさいほどに説かれてあった。梶原が解説した古碁(江戸時代の名人上手の棋譜)にまで眼を通した。
 専門棋士が身を揉んでの苦心の末に生み出した、手筋の美しさにもっとも多く感動させられたのは、大竹英雄の打ち碁集によってだ。ただタテヨコに線が引いてあるだけの盤上に、なんという筋道がつながってあるのか、美しさに溜息が出た。

 坂田の生きかたも、梶原の空間概念把握も、大竹の筋道想像力も、私の棋力で理解できようはずもない。文学になぞらえることで、わずかに一端を推測可能である。ことごとくが文学においても、おっしゃるとおりだ。

 囲碁における坂田・梶原・大竹の役割を、将棋において一人で果してくれたのが升田幸三だった。破天荒な生きかたと強さ、究極の勝ちにつながる尋常ならざる視野の広さ、結果として編みだされた升田公式・升田定石の美しさ。いずれも鑑賞に足りた。

 解説名人の異名をとった加藤治郎も忘れられない。日本初の大学卒業棋士でもあった。NHK 将棋番組の常任解説者だった。
 加藤による名著『将棋は歩から』全三巻は、将棋ある限り価値が喪われることはあるまい。将棋において、もっとも軽い駒である「歩」の活用法はじつに数多い。つまりは歩を上手に使える人が、強い人なのである。あらゆる歩の用法を洗いあげ、分類し、実例解説してある本書に記載のない歩の使い途はないのだろう。
 飛角でも金銀でも桂香でもなく、上達の要は歩にありとした本書の理念は、天の時よりも地の利よりも、人の和こそが戦略の第一とした孫子の兵法にも合致する。

 加藤治郎が解説名人なら、倉島竹二郎はさしづめ聴き手名人ということになろう。三田文学系の小説家だが、将棋の猛者として菊池寛に可愛がられたらしい。なにしおう社長室の隅っこに社長用デスクがあり、中央には応接セットに囲まれた将棋盤が鎮座していたという文藝春秋である。倉島の応召出征にさいした文壇挙げての壮行会での集合写真を、文学史アルバムといった書物で観たことがある。最前列中央の倉島の隣には菊池寛が腰掛けていた。戦後は小説家としてよりも、むしろ観戦記者・将棋関連著述家として高名だった。
 歩の駒には「歩兵」と彫ってある。であればと世に俗説あって、棋譜読上げは、初手7六歩をナナロクホとすべきではないか、また「歩のない将棋は負け将棋」はホノナイショウギとすべきでではないかなんぞとも云われた。しかしながら駒に彫られてある文字は「ふひょう」であって「ほへい」ではないというようなことも、私は倉島竹二郎の言から教わった。

 碁も将棋もついに強くはなれなかったが、碁からも将棋からもじつに多くを教わった。棋書の多くは実用書指南書の性格をもっていたから、用済みとなれば手放してきた。わずかに残っていたものを、このさい古書肆に出す。
 ただし倉島竹二郎『近代将棋の名匠たち』一冊のみは残す。家元制の名残としての世襲名人制度下にあった将棋界から、実力名人戦へと移行し、やがて戦後の隆盛へと移りゆく時代を全速力で駆け抜けた豪傑たちを、余すところなく描き出した名著中の名著だ。関根金次郎・坂田三吉木村義雄・花田長太郎・土居市太郎・塚田正夫升田幸三大山康晴……。命がけで走った人たちの、清々しくも血みどろのドキュメンタリーである。