一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

耳が変

f:id:westgoing:20211220015820j:plain

大竹英雄(1942‐ )

 十二月十五日、大竹英雄名誉碁聖の引退会見。一時間以上にもわたる囲碁記者との質疑応答。含蓄ふんだん終始感服。お見事としか申しあげようのない一時間だった。

 開口一番、「盤上に思い浮ぶ図が、貧相になってきた。自分に幕引きすべき時が来た」
 寸分の弛みもない清く豊かな世界を視た人にして、云える台詞だ。とある時期、囲碁の手が日本で(ということは当時世界で)一番見えた人の台詞だ。

 日本棋院の理事長をも務められた。健康上のご心配はないとのことだから、今後も後進の指導や囲碁の普及の面で、棋界に貢献なさろうとのお志だろう。
 「トーナメントのプロだけでなく、解説のプロ、書くプロ、初心者指導のプロほか、さまざまなプロが、部厚く育って欲しい」
 選び抜かれたトーナメント・プロの頂点で、命懸けの勝負をしてきた人にして、この台詞だ。大袈裟に申すのではない。長時間の挑戦手合では、相手が長考に沈む時間に、次の間でビタミン注射を打って、また対局室へと戻って闘う棋士の噺を、聴いたことがある。
 二日間、盤の前に座って考えるだけで、体重が四キロ減るというような人たち同士が、しのぎを削っているのだ。

 振返ってみて、もっとも思い出に残っている一局は? 役目上しかたないのだろうが、記者からかならず発せられる、下品な質問だ。名誉碁聖はお応えにならなかった。当然である。
 木谷実九段(師匠)への内弟子時代は? 良き仲間や後輩にめぐまれて……一度はそうおっしゃりかけた。が、話題を換えられた。
 「廊下拭きでも、便所掃除でも、やれば綺麗になる。念入りにやればやるほど、本当に綺麗になるんですよ」
 修業と修養の意義も極意も、そこに尽きているではないか。

 AIの登場によって、碁の定石も考えかたも変化してきているが? いや、と名誉碁聖は記者の発言を途中で遮られた。
 「AIによって打たれた意外と見える一着も、その先の図を想い浮べれば納得がゆく。AIは、筋が良いんだ」
 これも門外漢の俗流囲碁観とは一致しない。そのうえ、こうも云われた。
 「囲碁は、そりゃ勝ち負けのゲームではあるけれど、勝ち負けだけではないんです」

 「呉清源先生は、愛弟子の林海峰さんには厳しかったが、私には優しかった。よく手を褒めてくださった。工夫の末にあみ出した手ではなく、普通の手を褒められた。なんでこんな手がと、思ったこともある」
 巧い手でも強い手でも非凡な手でもなく、正しい手を、ということだろう。名誉碁聖も今なら初心者に、強い手ではなく、正しい手をご指導なさるに違いあるまい。

 「碁はこんなに愉しい。覚えてよかったと、一人でも多くの人に感じて欲しい」
 ではその、碁の神髄とは?
 「人と対話ができるということです。相手が想い描いた良い図が、こちらにも浮ぶこと。碁は、相手を立てるゲームなんです。思いやるゲームなんです。だからソフト相手では限界が。あれは飽くまでも練習のための機械です。皆さん、人間相手に、碁を打ってください」

 林海峰名誉天元とのあいだで、星の数ほどの対話をしてこられたのだろう。同齢の宿敵にして、振返れば親友。お二人で天下を分けた時代を、人は「竹林時代」と称んだ。
 引退声明に関して、胸中を誰に、いかなる順序で明らかにすべきかと、心底迷われたそうだ。まず林さんに。いややはり、日本棋院への届け出が先か。が、記者発表前には林さんに。しかし自分の気持としては、内ないにでもまず林さんに……。
 会見中に、その場におられぬ林海峰名誉天元のお名が、いくたびも出た。

 一時間を超えるなごやかな会見を、ユーチューブ画面に釘づけになって、息を殺すような想いで観了えた。
 耳が変なのか、私には名誉碁聖が終始文学の噺をなさったとしか、聞えてこない。